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柄谷行人『定本 柄谷行人集〈4〉ネーションと美学』── 卒論レベル(★★★) [Book]

『定本 柄谷行人集〈4〉ネーションと美学』(柄谷行人著、2004年、5月27日、岩波書店刊)

 

2004年刊行の本書を今さらながらに開いたのは、「ネーション」に関して思うところがあったからである。それというのも、イタリア人「テロファイナンス専門エコノミスト」、ロレッタ・ナポリオーニの本、『イスラム国 テロリストが国家をつくる時』を読んでいて、もしかして、柄谷氏の考える「ネーション」とは、この「イスラム国」のようなものではないかと思ったからだ。結論は、柄谷氏も「国家やネーションを広い意味で経済的な問題として扱うべきだと考える」と書いているし、かなりあてはまる部分があると思った。

 

 さて、本書は、「ネーション」という、民族や領土では規定できない、いわば「観念の反帝国的帝国」をキーワードに、マルクスから、ソシュール、ラカン、フロイト、宣長などなどを、総花的としか言いようのないにぎやかさと、論理展開は短絡的に、整理かつ論じたものである。まあ、「定本」としているところを見ると、本気の論文集なのだろうが、いかんせん、引用されるテキストが翻訳本で、しかも、わりあいお手軽なものだったりすると、どうしても、(本人決して明記はしていないが)かなりのものを原書で読んでいると思われる、小林秀雄、河上徹太郎などと比べると、どうしても「ショボい」感じがするのが否めない。しかも、彼らは「読ませる」文体を持っている。

 

 著者はしきりに「オリジナリティ」を装ってはいるが、既存のものを整理し、かつ、すでに評価のある著者に「代弁」させていて、とても楽しんで読めるものにはなっていない。比べるのもどうかと思うが、たとえばハーバーマスの『公共性の転換』のような精緻かつ魅力的な書物に比べると、学生の論文のような文体で面白みにかける。優等生がきちんと整理した「卒論」程度のできである。

 

 なお、哲学には、モンテーニュ、モンテスキュー、ヴォルテールなどの、どんな難しい内容でも、エンターテインメントしなければ人に受け入れられないフランス型と、ヘーゲル、カントといった、くそまじめな体系をひたすら目指すドイツ型があるそうである(串田孫一『ヴォルテール』世界の名著、中央公論)。本書は、当然、ドイツ型である。しかも、ベルクソンのような、「内部からの観察、分析」は、完全に捨象されている。日本の哲学風土を語りながら、「言語哲学としての真言密教」などへのほのめかしもない。

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