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【詩】「売春婦たち」 [詩]

「売春婦たち」

 

「外見は陽気でも、この女たちはどこまでもつづく不安のなかに生きていた。彼女らは手入れをおそれ、『サラダ菜洗い(パニエ・ア・サラド)』(囚人護送車)と警察署と監獄をおそれていた。病気になることをおそれ、知らない客の一人一人をおそれていた。相手はひょっとしてサディストかもしれず、偏執狂かもしれず、危険な狂人かもしれず、切り裂きジャックかもしれないではないか? 女たちは同様に、自分たちの『保護者』を、その気紛れと、機嫌の向きかげんをおそれていた。現代の宗主たる『保護者』は、自分の『保護する女』を、売春宿に譲渡することも、同業者に売ることも、外国へ売りとばすことも思いのままだった。身をかくしたり、反抗したりする女は不幸なことになった。罪ははげしく問いつめられ、『罰金刑』か『死刑』さえ課せられた。ミリューの容赦ない手は、女のあとを追い、いたるところで女を捕らえた」(『未知のパリ 深夜のパリ──1930年代』写真と文、ブラッサイ、飯島耕一訳より)

 

80年が経った──。いろいろな事件、とくに戦争のかげに、「パリの売春婦たち」の存在は忘れられていった──。けれど、(とくに)女性の体になんらかの商品価値を認め、それを商売するという行為は連綿と続いていた。

買い手の欲望があるからか。

いずれにしろ、実存主義者が「疎外」と呼んだ、人間を物と同等に扱う行為だ。

2017年、アマゾンという「三途の川」の向こう側に拡がる、「ネット界」にも、売春婦たちがいて、詩を書いたり、勉強したりして、堂々と自己表出している。

それが悪いのか? りっぱな職業ではないか! と、ネット界の売春婦たちは主張する。

りっぱな? 

清潔なホテルや、ごくノーマルな容姿と態度の客との「交渉」を、感傷などをまじえて詩に書いている。

そういう売春婦たちには、「支援者」がいる。

売春婦たちは、「売春」という直截な言葉を嫌う。

もっと「明るい」、もっと「清潔な」、もっと「聞こえのいい」言葉を求める。「風俗」といえば、何かが消える? たとえば、彼女たちを縛っているものの姿が。

すきで選んだ職業に見える。

けれど、すきでなど、選んだわけではない。

と、私は考える。

実態は、80年前のパリの売春婦たちとなんら変わってはいない。

できることなら抜け出したい。

でも、できない、のっぴきならないワケがある。

それを、おおやけにすることはできない。

だから、彼女たちを責める人々を呪う。

マムシのように牙をむいて見せる。

おおよそは、それは、昔も今も変わっていないと推察する。

お金の問題。

なんらかの理由で、彼女たちを、お金が縛っているのだ。

だから詩のなかに、せめてもの夢を見たくて、

清潔なホテル、ノーマルな客との、まるで「恋人同士」であるかのような「交渉」を描く。

この何よりも深き絶望を、かつての市川房枝のように、警鐘をがんがん鳴らし、彼女たちに嫌がられながら、鎮魂するのみ。

そんな夢を見てはいけない。

そんなのは、夢ですらない。

清潔なホテルとノーマルな客との「交渉」が。

どこまでもどこまでも墜ち続け、闇の真の姿を見届けて、誰かのベアトリーチェになるしかない。

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