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八潮れんの「詩」、ふたたび [詩]

八潮れんの「詩」のようなものについて、ふたたび。


 


よく考えてみたら、八潮れんの「詩集」(?)については、まだ語るべきものがあった。これははたして、「詩集」なのか? この「本」に収められた一篇一篇の作品は、「詩」なのか?


説明すると、まず、へんてこりんな、意味をなさないような言葉のつらなりがあって、次のページをめくると、ヴェルレーヌの、有名な、「秋の日のため息の……」という詩の原文と、上田敏の訳がある。いくら著作権が消滅しているとはいえ、こんなの勝手に入れていいのか? と思う。そして、と、同時に、前にあった八潮のオリジナルの詩は、ヴェルレーヌの原詩の音を日本語に変えたもの、よく言われるのは、フランス語のCa va? (サバ?)が、鯖? に置き換えられている体のものである。それを全文やっていて、ほかのフランスの近代詩人についてもやっている(しかし、仏語では、1音節で終わってしまう言葉について、日本語では2音節にしている。ということは、音を聞いて、そのまま日本語に連想で変換されたとも思えない……というか、そんなふうに聞こえるとしたら、語学的にはどうよ? というのがある(笑))かと思えば、芭蕉とか紀貫之とかの句や歌を、ローマ字のままに引用、挿入している例もある。詩の実験というには、あまりに雑。だけど、実験なんて、みんな雑なものではなかったか? まともな、意味のある文章、あるいは、なんらかのニュアンスを伝えようとしている文章を、「詩的」に書いたものが詩だと思っている人は怒るかもしれないし、投げ出すかもしれない。しかし、ここには、どんな意味も排除している意志が見受けられないこともない。どの言葉も、「流通」などしていないのである。なにかの比喩であることも拒んでいる、かに見える。もしかしたら、それは「詩」なのではないか? ……などと考えたのだが……(「つづく」かどうかは、わからない……(笑))。分析に足るのか、たんなる「でたらめ」か、よくわからない。しかし、以上のような思考を誘った。そして、今、「思い浮かべてみる」に、促音の「っ」が多かったような気がする。ということは、なにか「急いでいる」感じ? どこかへ行こうとしている? そして、それは、日本語にしかあり得ない音だ。

 

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