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『わたしに会うまでの1600キロ 』──細部がテキトー(★★★) [映画レビュー]

『わたしに会うまでの1600キロ』(ジャン=マルク・ヴァレ監督、2014年、原題『WILD』)


 


 原題は『(The なしの)WILD』。ショーン・ペンが監督した、『イントゥ・ザ・ワイルド』(2007年)を思い出す。あれも、大自然の中へ「入っていく」映画だった。そこへ行けば、なにか解決できるかのように。人は自然の偉大さ、厳しさに接し、なにかカタルシスのようなものを感じるのだろうか? イヤな自分や過去が「浄化」され、新たな自分に生まれ変わる──と、信じられるのだろうか?


 そんな動機付けなど関係なしに、自然に触れることはおもしろい。ほんとうはそれでいいのではないか? 長いトレイルを制覇した達成感は、興味本位で参加したとしても得られるだろう。


 野生に接した人間を描くのなら、とことん具体的に描いたものが見たい。だが本作は、どこかお手軽感に溢れているし、靴にしろ、荷物にしろリアリティに欠ける。そういうところは、大きな物語を語るためにテキトーにされている。つまり、人間ドラマなのか、自然なのか。べつの映画のネタバレにもなってしまうが、『イントゥ・ザ・ワイルド』の主人公は、結局野垂れ死ぬ。確か、最後は白骨化した死体が発見される。野生のなかに入っていった人間は負ける。


 本作では、いくら「トレイル」として指定されているコースとはいえ、野生のなかでサバイバルしたヒロインは、「ほんとうの自分を見出す」=野生に勝つ。果たして、野生とは、そんな簡単なものか? もちろん映画のなかで、ヒロインは大変な試練に遭っていたとは思うが。


 リーサ・ウィザースプーン(当時38歳くらいだが(笑))の肉体の感じも、彼女の母親役のローラ・ダーン(当時47歳くらいで、娘役のリーサと10歳も違わないのだが)のきめ細かい演技も、賞賛に値するものだとは思うが、映画作品全体としては、なにが言いたいのかわからないものになっている。それになりより、主人公の得た「さとり」(?)のようなものが、言葉で説明されてしまって、映画的にはよく見えなかったことが残念である。


 


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余談:Yahoo!レビューのなかに、「年取ったリース・ウィザースプーンは、ウィレム・デフォーに似てきた」と書かれていたものがあり、思わず吹いた。

 



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