「飯島耕一が染みる朝」 [詩]
「飯島耕一が染みる朝」
ブラッサイの写真集に書かれた、飯島耕一の文章を読んでから、なぜか気になりはじめた。それで、リビングの扉付き本棚にしまい込んでいた、一九七六年に出た(それは七〇年に出たものの第二版だった)、『シュルレアリスムの彼方へ』という銀色の本を取り出してきた。夥しい本を古本屋やブックオフに売ったが、この本はいつまでも、難を逃れていた。この本はどういう本かというと、飯島耕一と大岡信と東野芳明が、シュールレアリスムについて、いかに無知だったか、しかし、いかに熱中してたか、つまり、無知で熱中していることを、実にほがらかに書いた本である。そして、それだけ、シュールレアリスムの近くにあったと主張する本だ。
ああ、今更ながらに、飯島耕一が染みる朝であるが、とうの飯島耕一はそんなこと、あの世で、想像だにしないであろう。四十年も経てから、深く共感してくれる読者が現れようなどとは──そんな朝だ。
ボードレールが時間のように降ってくる。
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