SSブログ

【詩】「失われた時を求めて」 [詩]

「失われた時を求めて」


(A la recherche du temps perdu)


 ベケットは二回、ナボコフは、おそらくそれより多く、通読したと思われる、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』は、やはり読み通した人は少なく、よって、いいかげんなことを言っても、誰も「それはちがう」とは言えない。


ナボコフによれば、英訳で四千ページ、約百五十万語、登場人物は二百人以上。扱われている時代は、一八四〇年から一九一五年。執筆にかけられた時間は、一九〇六年年から一九一二年。その後、一九二二年に死ぬまで改筆と訂正をくりかえした。


時間の長さは、「遅筆」をイメージさせるが、私の計算によると、ものすごい速さと分量で、日々の執筆をこなし、それを死ぬまで続けた。


失われたのは、「話者」の時間ではなく、書き手自身の時間である。


ナボコフ曰く、


 「全巻これ宝探しであって、宝物は時間であり、隠し場所は過去である」(『ヨーロッパ文学講義』)


私はこの作品を、犬の散歩時に、フランスの俳優、アンドレ・ドュサルディエの朗読のCDを、iPodに入れて聴いている。


いまだ「スワン家」のあたりをさまよっている。


ドュサルディエの朗読は淀みなく、(おそらくは編集の働きであろうが)一語としてひっかからない。


私の野心は、通読どころか、この作品すべてを暗記することである。


稗田阿礼が、帝紀と旧辞を暗記したように。あるいは、


ボルヘスの、「記憶の人・フネス」のように。あるいは、


ホメロスのように。

 

たいていの文章は、散歩道の闇のなかに消え去ってしまうのだが、なかに、ひっかかってくる箇所がある。いつも「はじめ」から聞き直すのだが、ひっかかる場所はいつもいっしょだ。それは、


ドュサルディエの静かな声が半ば興奮したように高まり、「話者」の祖父を演じる場面だ、


「マチルド! おまえの夫がウィスキーを待ってるんだぞ! なにしてるんだ!」


 そして祖母は悲しそうに……


 と、「話者」は語る。


 優雅な貴族社会のマッチョ性の露出。


「話者」は祖母の味方だ。


そして、作者は、そのような女性の地位を受け入れることはせず、


解放した。


愛とは、主従である、


ということを、よく知っていた。


だから、女は愛さなかった。


わたくしは、プルーストの「阿礼」となって、この物語を全文暗記し、二十一世紀に再構成したいと思う。

 

 


 


 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。