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『ラビング 愛という名前のふたり』──あたりまえな願いへの静かな戦い(★★★★★) [映画レビュー]

『ラビング 愛という名前のふたり』( ジェフ・ニコルズ監督、2016年、原題『LOVING』)


 


 なにも60年前のアメリカの、理不尽な人種政策を、ことさらながら描くこともあるまいと思う向きもあるかもしれない。しかし、これが、少なくとも30年前なら、もっとものものしく劇的に描かれていたかもしれないし、『ミシシッピー・バーニング』のような作品が、よりクールだと思ったかもしれない。


 しかし、いま、普通の感情を描くことが尊いし、また可能になってきたとも言える。


 ケン・ローチ監督の『私は、ダニエル・ブレイク』しかり。普通であることを望み、表現することは存外難しい。


 2012年に作られ、2014年に日本公開された、同監督の『MUD』は、まだカタルシス的なものを含んでいた。ミシシッピーの無人島に住み着いている得たいの知れない男(マシュー・マコノヒー)を中心に、彼と知り合う二人の親友同士の少年と、彼らを取り巻く人物たちが人生とは何かを垣間見せる、まさに『スタンド・バイ・ミー』ふたたび、であった。


 本作では、黒人と白人が自然に住み慣らしている地域ではあるが、現実とはそぐわない法律、異人種間の結婚を禁ずる法律があって、それがために、ごく普通の愛し合って結婚した(ワシトンDCで)二人が「犯罪者」として、突然逮捕されて困惑する。当然、全アメリカ的には味方の人権派弁護士たちがいて、最高裁では勝訴するのだが。映画は、これら弁護士たちの作戦中心の法廷ものではない。当然作戦はたてられるのだが──。


 映画は、ひたすら、二人の男女の、ごく普通な願い、いっしょにいたい、夫婦になって家族を作りたい、ちゃんと子育てできる環境のなかで暮らしたい、親しい人たちの近くで生活したい、そんなあたりまえのものを獲得するための、静かな戦いを描いている。


 なんで俳優になったのかわからない、いかつい風貌で、悪役の多いジョエル・エドガートンが、無骨だが心優しき男を描いて、リアルさを感じさせる。とくに、職業のレンガ職人の仕事の手馴れた感じが、見ていて爽やかである。相手役のルース・ネッガも、黒人女性からくる紋切り型イメージとは遠い、しぐさや眼差し、しゃべり方の、繊細な柔らかさが心地よい。


 この二人、白人のリチャードの父が、黒人のミルドレッドの父に使われていたという事実も見逃してはならない。かなり屈折した地域で、起こるべくして起こったできごとを、主人公の名字、ラビングに引っかけた題名であり、物語である。

 



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