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ゴダールの『アルファヴィル』 [映画レビュー]

 


ゴダールの『アルファヴィル』(1965年)


 


『ALPHAVILLE』(Jean-Luc Godard, 1965)


 


「続編」の、「新ドイツ零年」の方が有名だと思われる、もとになったフィルムだが、もともとハードボイルドスターの、エディー・コンスタンスが、地球外の星のアルファヴィルという都市にやってきて、なにやら「調査」する。その都市を牛耳っている「博士」と接触を図ろうと、まず彼の娘の、アンナ・カリーナ扮するナターシャに接触する。すべてコンピュータの「ロジック」によって管理されるアルファヴィルは、コンピューターの「ハル」によって支配されていた、『2001年宇宙の旅』を思わせる。両者とも、近未来を描きながら、すでにして2017年を生きている人間の目からすると、ファッション、メカニズムの設備、建築物、古びている。しかも、ドラマの手法も荒い。


 たとえば、クリスファー・エフロンの『ダンケルク』などからすると、隔世の感がある。村上春樹は、いまだ、こうした、アメリカ産ハードボイルドの手法を用いているのだが。つまり、「探偵」は、悪い世界に住んでいる女を「救出する」。それはとりもなおさず、女が「愛に目覚める」時である。すべコンピューターのロジックに支配される非人間的な世界の育った女は、「探偵」によって愛を知るのだが、そのへんがよくわからない。ほんとうに本作は、ありがたいのか(笑)? ゴダールはそれへの反省から、『新ドイツ零年』を撮り、探偵レミー・コーションを、すでに壁の壊された旧世界の、小野田寛夫中尉のように「出現」させねばならなかったのではないか? 「続編」などと言いながら、両者はまったくべつのコンセプトの映画に見える。後者では、色の美しさや画面の斬新さが印象的だ。


 このたび、ドイツ製のDVDをAmazonで購入したが、家に、アメリカ製のVHSがあった。「未来都市」などと言いながら、登場人物たちがしゃべっているのは、まぎれもないフランス語で、ホテルの受付なども、パリを思わせるのが、愛嬌か。字幕は、英語と複数のヨーロッパ語から選べるが、英語字幕でも台詞が短いので、日本語字幕を見ているような気がしていた。フランス語もほとんど聞き取れるレベルなので、なんの違和感もなく見ていた。


 


 


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