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『アジュモニの家』細田傳造新詩集(思潮社、2018年3月刊)──「細田傳造」以後に詩を書くことは可能か? [Book]

『アジュモニの家』細田傳造新詩集(思潮社、2018年3月刊)──「細田傳造」以後に詩を書くことは可能か?



意表を突く装丁。意外にも、ガーリーな(笑)、薄いパープルが主体の絵と題字。いかついジジイの路線かとおもいきや、突如ガーリーになって、ジジイがガーリーになれば鬼に金棒である。


 


書肆山田から出した詩集二冊が、二つの賞(中原中也賞、丸山薫賞)を取って、さて、このまま、自己模倣に陥るのかと「期待」して「見守っている」と、確かに前詩集(第四詩集?)の『かまきりすいこまれた』では、その気配もあったが、この詩集では、氏の「方針」はかっちり決まり、「あっちの方へ」シフトした。それは、鬼に金棒といえばいえる世界。だいたい、あーた、「在日」(この詩集にそういうマスコミ用語みたいな言葉は出てきません。たしか、Amazonのレビューで誰かが書いていただけですが)をほのめかせれば、詩の世界では、百点満点中、三十点はいただき。しかも、「その世界」を堂々と、「差別的視線」も逆手に取りというか、逆に大いに利用して、変態もなにもかも取り込んで、しいていえば、ヒエラルキー形成が方針であるかのような「思潮社」さえ、プレデターみたいに呑み込みかねないパワーを噴出させている。きっとこの詩集でも、なんらかの賞を取るだろう。残っているのは、高見順賞? 萩原朔太郎賞? 「歴程」メンバーのようだから、三好達治賞も不可能ではない。花椿現代詩賞も。今、かっこつけたり、見栄張ったり、観念の世界に浸ったり、メッセージを込めたりして詩を書いている人々、このジジイに勝てますかな? このジジイは、全身が詩なのです。そして、本詩集によって、それを証明してしまったのです。冒頭の「三軒家」ものっけから爆笑で、二十二編どれも面白いんですが、とくに、「巻尺」の、


 


  原っぱで


  草を見ていたら


  肩を叩く音がする


  身を捩ってみれば機蟲(ばった)


  機蟲が囁く「この草を買って」


 


ばったが売りつける「草っぱら」=墓地? ふたつも墓地を買ってしまって、家で怒られる。しかし、本居宣長もプライベートとおおやけと、ふたつ墓地を持っていたからね。


 


「軽蔑」もすきだ。孫と思われる、「たける」が、コリアン・エアーの美人アテンダントに「かわいがられ」、「半島」にかかわるすべてを軽蔑しているらしいふぜいを理解して書いてしまう(このヒトはなんにでも感情移入できる才能を持ってるんです。しかも、頭のチョーいいんです)。


それもよかろう。しかし、私も、生まれて初めて乗った飛行機でパリへいきなり行ってしまったときの、そのエアーは、コリアンだった。夏目雅子ばりの美人アテンダントばっかりだった。


そして、ここに出てくる「哀惜(はん)」もそれなりに理解している。映画で、「はん」がテーマのを見て当時、映画評を西日本新聞に書いたものだ。題して、「『はん』とは超えるもの」。あの時評はわれながら、よかったと思っている。


 


ついでながら、わが故郷(丸山薫賞を出している、豊橋市ですが)の実家もある町内ですが、朝鮮半島から来た人々がいて、その家族って、いったいいつ頃から来たのかといえば、まだ半島が分裂していないときで、曽お祖母さんのときと言うんだから、これはもう欧米の考え方なら、純粋日本人以外のなにものでもないんだけど、やはりその家系の、ルーツをちゃんと守っておきたいのかなと思う。しかも、祖母さんは、「故郷」なんぞへは帰りたいとは思ってないという。だってうちの町内で生まれたのだから。って、わけで、細田氏が、この詩集で書かれた世界は、もう手に取るようにわかります(初代BFの家も、どぶろく製造していたし)。


 


しかし、いくらなんでも、こうは丸裸にはなれない自分なので、「理知的な作風」に方向転換することにします(笑)。


 


さて、このヒト以後に、詩を書くことは、可能か?


 


hosoda.jpg


 


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