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【詩】「死があたかも一つの季節を開いたかのようだった。」 [詩]

「死があたかも一つの季節を開いたかのようだった。」(Il semblait que c'était la Mort qui avait ouvert la saison....

 

吉田健一が、「死がその季節を開いたようだった」と、堀辰雄の「聖家族」を紹介する時、括弧してフランス語が紹介されていて、Il semblait que c'était la Mort qui avait ouvert la saison.... と書かれているのを見たとき、このあまりにぴったりなフランス語にひかれたが、果たして、「原文」は、当然のことながら日本語で、このフランス語の文章はどこにもないのだった。これは、吉田健一が翻訳したものだろうか? しかし、誰のために? おそらくは、自分のためだったにちがいない。というか、しぜんに、この文章が頭に浮かんでしまったのだろう。このエッセイは、「大学の文学科の文学」という題名がついていて、講談社文芸文庫の『文学の楽しみ』に収められている。もしかしてこれは、フランスの詩人からの引用だろうか? 堀辰雄自身が、小説の題名をつけるときに、などとも考えた。だとしたら、誰からの? ヴァレリー? こんなロマンチックな文章は、そのあたりしか思いつかない。とはいえ、ヴァレリーの原文がほんとうにロマンチックかは責任が持てない。というのも、彼の詩は、かなり難解だからだ。難解でない詩は、やはり、ランボーとかボードレールか──。ポンジュとか。シャールも難解だ。マラルメはちまたで思われているほど難解でなく、むしろ牧歌的な印象だ。

 

そして私は、未明、湿った風のなかを、犬の散歩に出かけた。I-podで聴くのは、美空ひばりが歌う(高峰美枝子ではなく)、「湖畔の宿」だ。美空ひばりは、この曲を、思った以上に(しばらく聴いてなかったのですっかり忘れていた)ゆっくりとしたテンポで歌う。今どき、こんなテンポで歌う人はいないし、こんなテンポの歌はなく、人々の頭はかなり速いテンポに支配されている。それは、頭の回転が速くなったのとは、別のことだと思う。

 

なぜこの歌を聴こうと思いついたのかというと、やはり、吉田健一の文章にひかれて、堀辰雄の「聖家族」を読んだからだ。そこに描かれているのは、透明な景色、ちょうど、湖畔の宿のような……

 

山の寂しい湖に、ひとり来たのは、悲しいこころ……だったかな。何度聴いてもこの箇所を覚えられない。この宿は、軽井沢かな……と思ったりする。女は、なにか思いつめて湖畔の宿に来て、手紙を書いては破りして、古い手紙を焼いたりする。

 

焼き捨てた、古い手紙のうす煙。

 

堀辰雄の『聖家族』でも、古い手紙が出てきたので、それで「湖畔の宿」を思い出したのだ。扁理(名前がいい)という二十歳の青年が、九鬼という死んだばかりの男の蔵書を家族に頼まれて整理していて、「古い手紙の切れっぱしのようなもの」が、メリメの書簡集に挟まっているのを発見する。おそらくは、九鬼の葬式への道筋で、扁理と細木夫人は出会うが、その夫人からの手紙の一部であろう。二人は以前、扁理が十五歳で、九鬼に連れられていたとき、軽井沢で会ったことがあったのだが、扁理の方は、すぐには思いつかなかった──。細木夫人の娘絹子を交え、三人は交流するが、それは、あまりに繊細なささやかな交流であった。しかし、生には十分重い交際であった──。九鬼と細木夫人は、愛人関係にあったのだろうが、扁理と九鬼の関係は不明のままだ。

 

小説の題名は、ラファエロの絵の、「聖家族」から来ている。

 

それは、たぶん、フィレンツェのウフィッツ美術館で見た。和辻哲も言及していたかもしれない。

 

とにかく、和辻が滞在したのと同じ場所にあると思われるところにホテルを取って──。

 

この小説では、なにも説明されていない。堀辰雄は、詩も俳句も短歌もまったく作らなかった。

 

小説じたいが詩である。同じように、プルーストの長大な小説も、いっぺんの詩のように思われる。

 

いずれにしろ、死が、すべての心情を閉じる。


 


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