【詩】「チェホフ」 [詩]
「チェホフ」
「木下杢太郎詩集」を繙こうとして、岡井隆の「木下杢太郎を読む日」みたいな本があることを思い出し、かつ、チェホフを思い出した。以上あげた三人の共通点は、もちろん、医者であることだ。チェホフはたしか、ヤルタ会談で有名なヤルタの出身。風光明媚なリゾート地だ。そこは、プーチンの「ユーラシアニズム」によって、無理矢理ロシアに組み込まれた場所ではないか。チェホフはかつかつロシアの作家というわけだ。それと逆方向がカントで、カントはドイツの哲学者にくくられているが、実はロシアのテリトリーの出身ではないか? そんなことを思いつつ、毎年この時期になると思い出すのは、草田男の、
燭の火を煙草火としつチェホフ忌
だ。
昔は蝋燭で灯りをとった、橙色の光に満たされた部屋。それは、チェホフに似つかわしい。このヤルタ出身の医者で作家の人物に。死とは、肉体そのものをなくすこと、肉体以外のものの喪失に関係していることは、少なくとも科学的には証明されていないような気がする。肉体をなくした人々が世界に満ち、それはいつまで続くのだろう? 資本主義に食われていく貴族、夢にくわれていく精神、農奴の子孫で医者のチェホフが書いたのは、そうした喪失の物語だ。
こがれさふらふ鵠(はくてう)の
君をしのぶと文(ふみ)つくる。*
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* 木下杢太郎「楂古聿」より(「楂古聿」は、なんと、「ちよこれえと」と読む(笑))。
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