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『MUD マッド』──「スタンド・バイ・ミー」ふたたび [映画レビュー]

 『MUD マッド』(ジェフ・ニコルズ監督、2012年、130分)

 

 映画館から出るとき、思わず、ベン・E・キングの、「すたーん、ばい、み~、すたーん、ばい、み~」が口をついて出た。

 

 リバー・フェニックスを彷彿とさせる少年、ネックボーンと、エリスの友情。しかし、主演は、フェニックス似のネックボーンではなく、繊細な心を持つ少年、エリスである。

 

 アーカンサス州の川辺の田舎町のボートハウス(ちょうど、宮本輝の『泥の河』のようだが、まったくの船でもないようだ)で父母と暮らす14歳の少年エリスが、友だちのネックボーン(孤児で女癖の悪い叔父なる男と暮らしている)と、川の島の、大水の時に木の高みまで引き上げられ、木に引っかかったままのモーターボートを見にいって、そこに棲み着いているワケありの男(彼もその街の出身者)とのふれあいを描いた作品だが、そのふれあいを通して、エリスは、おとなの世界を知っていく。その知り方が、紋切り型ではない。人間というものは、割り切れない感情に振り回され、愛もすれ違う……。そういう微妙な心の世界が、少年らしい冒険と純な心の発露を盛り込みながら描かれる。近年は、アメリカ映画も地方の時代で、いろいろな地方を舞台に映画が撮られるが、なにせアメリカである、広いからその規模がすごい。どこか懐かしさを漂わせながら、実はよくは知らない地域がどんどん出てくる。本作もそのひとつである。

 

 いくつかの愛が、物語の基盤をなす。離婚話が持ち上がっている父母、島に隠れている男と街のモーテルで暮らす女、やはりその男と、その男の父親代わりのような老人、その老人と彼の過去のなかでしか語られない妻、14歳のエリスが恋する年上の女子高校生……。それらが、結局のところもつれ合う。そのもつれ合いを、安易に収拾せずに描いているところが純文学的でもある。

 

 それにしても、「映画.com」の「評論家」は、本作の解説を、どんな具体的な事柄にも言及せず、ただ抽象的な言辞に終始しているのだが、こんなんで、「原稿料」とか払われているんですか、「映画.com」さんは?

 


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