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『紙の月』──宮沢りえ賛江! [映画レビュー]

『紙の月』(吉田大八監督、2014年)


 


 宮沢はりえは、野田秀樹の『リング』に出た頃は、舞台への情熱は感じられたが、まだそれほどうまくなかった。声も十分に出ていなかった。それが、何度か野田の芝居に出、蜷川幸雄演出の、唐十郎の戯曲『下谷万年町物語』に出た頃には、両演出家に鍛え上げられ、堂々たる舞台女優になっていた。若い時より美貌が取りざたされるりえであるが、もう四十も過ぎ、「激やせ」もそれほど解消していなくて、「ヤク中の体」などと嫉妬混じりか、悪口を言うレビュアーもいる。


 確かに美貌に陰りは出ている。しかし、体当たりで作品にのぞむようで、これほど活動し続けていたら、太るヒマもないだろう。


 本作は、その女優、宮沢りえあっての作品だろう。美貌にかげりは出ても、体形は、ガイジン体型のりえは、骨格ががっしりし、腰が高い。私は舞台でその姿を何度も見た。ドライなOL役の、元AKB大島優子は、かなりのハマり役だが、彼女との対比をみればあきらかで、大島は標準の日本人体型とみた。いくら痩せていても、りえの方がひとまわりでかいのである。


 そういう「世界に通用するサイズ感」を、完全に生かしたドラマづくりである。体を使って若い男との情事に溺れる、体を使って横領の証書を偽造する、体を使って「お局さま」の小林聡美(女優としてのリスクは高いが、「あるある」の役どころを心おきなくこなしているところは、やはりりえに対抗できる女優であるが)と対立する。そして、体をつかって逃げる。


 


 監督は、どうも原作には、あまり惹かれなかった(自分で映画化を決めたのではないのかも)が、主演に宮沢りえを得てはじめて映画が動き出したと言う。これが、大竹しのぶ(同じく、野田秀樹の舞台で鍛えられた女優だが)では、「ちがうハナシ」になってしまってだろう。ことほどさように、俳優の肉体は、作品にとって重要である。


 作中では、「すごくきれい」という台詞も吐かれるほど、美貌の役なのだろうが、俳優としての宮沢りえ自身は、もうそういうことは超越しているように見える。この透明感を、いったいいつまで保つことができるのかは、興味あるところである。


 どろどろしがちな俗っぽいドラマを、センスのいい音楽と透明な映像、原作にはない、業界内を綿密に描く知的な取り組みは、ハリウッドの洗練にも迫っていて、日本映画とはいえ、上質のエンターテインメントにしあがっている。



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