【詩】 「愛されるために、ここにいる」 [詩]
【詩】 「愛されるために、ここにいる」
どんなに深い考えを持っていても
犬という外形を抜け出すことはできない
人間もまた
その形が亡びてしまえば
すべて終わり
無へ帰っていく
疲れた中年男と、
自分の結婚式のためにタンゴを習うことにした女は、
男のアパルトマンの向かいにある
ダンス教室で出会った
原題は「Je ne suis pas là pour être aimé」、「愛されるために、ここにいるわけではない」と、
邦題とは反対の意味になってしまうのだが、
とりようによっては、
愛されるために、ここにいる「わけではない」の、
「わけではない」が省略されているとも考えられる
女は男の家に、はじめて招待され、ソファに並んで二人で
お酒、ワイングラスより小さな足つきグラスだから、
なにかもっと強いリキュールのようなものだろうか
それを女は飲み干し、それから……
男が切り出すのだ──
習っているタンゴのステップを。両手の指を足に見立て、
目の前で動かして見せる。
「こうだった?」
「ちがう。こうよ」
女も同じように両手の指を使い、スクェアのステップを
示してみせる──
「パッソ、パッソ、パッソ……」
「あ、そうか」指で真似して、「パッソ、パッソ、パッソだね」
「ちがう。パッソ、パッソ、パッソよ」
「わかった。パッソ、パッソ、パッソか」
「そう」
それから──
観客が期待するようなことは何も起こらない
「お休みなさい」と言って女は帰る。
男には老人ホームに父親がいて、
90%カカオチョコを、男が買ってくるのを待っている。
「だめだ、90%でないと」
父親は無愛想だが、実は──
父親は死に、男が父のホームの部屋を片付けていた時
粗末なクロゼットのなかに、
男が学生時代に獲得したサッカーだったかの
優勝カップを大事にしまっていたのを知る
「愛されるために、ここにいる」
のを、男は知る
「aimé(愛される)」という受け身の形は、
愛される対象が、男性であることを示している
私は、自分の犬が、ある日ピノキオのように、
人間の言葉をしゃべりだすという場面を夢想する
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