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『未来を花束にして』──31歳キャリー・マリガン演じる24歳の闘士(★★★★★) [映画レビュー]

『未来を花束にして』(セーラ・ガヴロン監督、 2015年、原題『SUFFRAGETTE』)


  ユーザー・レビューを見るかぎり、「女性がどのように、いつ、参政権を得たか? しかも、どの国の順番で」などという問題は、今を生きる人たちにとって、どーでもいい問題のように思える。本作は、ヒーローのような人物が大活躍して、みごと女性に参政権を獲得させる!という物語にはなっていない。


  時代は、1910年代の、第1次世界大戦時分で、世界的に、女性に参政権を!という運動が始まった時代であり、ニューヨークなどが先陣をきって、女性のデモが行われていた。だから、ロンドンも同じような流れとなっている。ひとつのモニュメントとして、主人公、モード・ワッツ(キャリー・マリガン)の仲間の一人である女性が、女性の現状を訴えようと、国王が出席するダービーで、マリガンとともに「直訴」に出かけるが、チャンスを阻まれ、走っている馬に飛び込む。走る列車に飛び込むようなものである。その運動家は、自分の命と引き替えに、世界中に、運動をアピールすることができた(らしい)。


 よって、イギリスの女性参政権は、1920年代に認められる。フランスは、確か、1944年あたりである。映画の最後に、各国が何年に、女性の参政権を認めたが、文字で出てくる。日本はなかったが、調べたら、1945年であった。男性でも、金持ちでない普通の人の参政権が認められたのは1925年だから、イギリスの女性とどっこいどっこいなのである。


 そして、国によってはつい最近、女性参政権が認められた国もある。つまり、「格差」は、百年にもなる。


  さて、本編は、その、女性参政権を求める壮絶な運動を描いているが、群像劇というより、平凡なヒロイン、モード・ワッツが、強かな活動家になっていくさまに焦点が定められている。平凡といっても、今の平凡とはわけがちがう。「6歳から働き始め、12歳から本採用」で、洗濯工場で、いまは機械がすることをすべてやっている。母も同じ職場であり、モードはここで生まれた。子どもが工場で働く、というのは、マルクス『資本論』の註にも出てくるし、ディケンズも描いている。ひどいのは、3歳ぐらいから働かされている。赤ん坊を気取ってる場合ではないのである。つまりは、「子ども」の「人権」なんてのもなかったのである。


  24歳のモードは、すでに3歳ぐらいの子持ちで、まあ、見場もよく似合いの夫(ベン・ウィショー扮する)で同じ職場で働く男と、「それなり」平穏な日々であった。


 だが、あることをきっかけに、「人権」に目覚めてしまう。そのところを、今回も童顔を生かした(と、本人も『17歳の肖像』の頃から言っていた)、31歳のキャリー・マリガンが冷静に演じている。もともと過激なところなど少しもない女性が、しだいに強さに目覚めていく。投獄も経験する。テロもやってのける。といっても、彼女らのテロは、郵便ポストや空き屋などを対象として、一応人は傷つけないことを目標としているが。


  メリル・ストリープが、完全に「イギリスの市川房枝」になりきっている。しかし、出番は少なく、映画の中でも、影のように動く。


  主人公は、婦人参政権運動に身を投じてしまったばかりに、夫に追い出され、子どもまで養子に出されてしまう。そういう辛い物語を、ただただ、「未来への子どもたちのため」を信じて屹然と行動する。キャリー・マリガンの柔らかなほっぺと、甘やかな眼差しのアップが、歴史というよりは、一人の女性の存在を際立たせていた。

 

 

 

 



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