荒川洋治著『北山十八間戸』 [Book]
『北山十八間戸』(きたやまじゅうはっけんこ)荒川洋治著(気争社、2016年9月初版、本書は、2016年10月刊の二刷)
北山十八間戸とは、鎌倉時代に、奈良に、忍性(にんしょう)という、真言宗系の僧によって作られた、ハンセン病などの重病者(非人、貧者を含む)を保護した施設である。
本書の帯にあるように、「(表題作他)保元の乱の母子像、竹島問題と李朝の記憶など、現実のなかに隠された新しい〈世界〉を映し出す、精選16編」。
「現代詩作家」による詩集である。他の多くの「詩人」と、自らを分かつため、「現代詩作家」を自称されている。
「他の多くの詩人」には、このような「詩」は書けまい。ここには、ひとつひとつ選ばれた言葉が、垂れ流しでなくある。
歴史の、見過ごされた時間の、ほんの小さな瞬間さえ逃しはしない。ときに、陰惨な瞬間。おそらく風景にさえなれない風景──。
夜空の枝は
空の外側にも よく群れて甘くひろがり
直列していく
(「北山十八間戸」)
「夜空の枝」とは、どんな枝なのか?
「空の外側」とは、どこなのか?
「よく群れて」とは、どんな状態なのか?
「甘くひろがり」とは、どんな状態なのか?
「直列」とは、乾電池のつなぎ方でないとしたら、どういう状態なのか? 「直列」しているのは、「夜空の枝」なのだろう。だとしたら、「よく群れて甘くひろがり」かつ「直列している」とは、どういう状態なのか? そのような状態と、真言宗系の、正確には、真言律宗の僧、忍性と、どういう関係にあるのか?
これらがほんとうに、「現実のなかに隠された新しい〈世界〉」なのだろうか?
「切られようとして」いる四人の子どもは、保元の乱の登場人物らしい。
その様子を切々と綴る。しかし、リアリズムの文章ではない。詩である。かなり難解な書法である。帯に説明がなかったら、多くの凡庸な読者にはわからない。
「現代詩作家」の、おそらくは、「現代詩」なのである。
「詩人」ではない。「詩人」はどこにもいない。職業でもなく、「現代詩作家」と自称する矜持。それを持っての作である。こころして読め!
……っていう、作品なのかな〜? である(笑)。
しかしここには、たわめた日本語はあっても、想像力は皆無である。地をのたうっていく作風。これが「新しい〈世界〉」だったら、陰惨である。なにしろ、ここには、竹島や李朝はあっても、「日本」しかない。世界が、地球が、宇宙が、日本だけだったら……という世界。たてまつるもよし、驚嘆するもよし。
しかし、寂しい。おそろしく寂しい。
本書は、Amazonという「三途の川」では扱っていない。e-本で購入しました。ハードカヴァー、スピン付きのりっぱな本である。83ページで、1850円+税。いったい、どんな読者に向けられた本なんでせう? 好奇心の強い私は買いましたが(笑)。
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