映画レビュー、文学、哲学、政治など、思いつくままに。
「はげ鷹」
吉田健一はたったひとつの地名でも
詩になると言った
私にとって遠州というのが詩である
それはその名のとおり遠く
州であるその谷の砂地には
いつでもはげ鷹の死骸があって
陽に照りつけられて匂う
それは私にとって父性であり
父性とは最初に子に知を与えるものである
ゆえに父は私に人生最初の歌を教えた
まさに朝日に向かって歌いながら
「朝はどこから来るかしら?
光の国から来るかしら?
それは明るい家庭から
朝は来る来る朝は来る」
ひとり川底を歩くとき
やがては父になるその少年と
その少年を送る私が重なる時
時間は金色に輝き
はげ鷹の死を祝福する
ログインすると自身のブログで本ブログを紹介できます
このブログの更新情報が届きます
この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。