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『ドント・ウォーリー』──ハンサムであることで救われる人生がある(笑)(★★★) [映画レビュー]

『ドント・ウォーリー 』(ガス・ヴァン・サント監督、2018年、原題『DON'T WORRY, HE WON'T GET FAR ON FOOT』)

 

 もともとは、『グッドウィル・ハンティング』撮影時に、ロビン・ウィリアムズが映画化を望んだ作品で、監督としては、彼の意志を完成させた。クレジットにも、「ロビン・ウィリアムズに感謝」とあった。ヴァン・サント監督は、本編の主役のホアキン・フェニックスの兄、リバー・フェニックス主演の『マイ・プライベート・アイダホ』も撮っていて、本編の主役の実在の風刺漫画家、ジョン・キャラハン役は、自然と、ホアキンへと繫がっていったのか。もともとアル中で、知人運転の車の助手席に乗っていて、その知人も酔っていて、居眠り運転で電柱に激突、大破した。同乗のホアキンは、脊髄損傷等、下半身麻痺は生涯続くことを「保証」され、一方、運転の知人は、かすり傷で、どこかへ姿を消してしまう。

 アルコール依存症のセラピーグループが中心となるストーリーだが、そのセラピーグループが一風変わっているのは、金持ちの青年の私設グループなのだ。彼の豪邸へ、アルコール依存症の男女が集まって、自分の話をそれぞれする。そのセラピー主宰者の青年が、すばらしく美しい顔をしていて、それが、いつもデブ、眼鏡の印象のある、ジョナ・ヒルであることは眼を疑う。もともと美青年だったのだ。ただし、体型は相変わらずずんぐりしているが。続いて、事故を起こした知人に、ジャック・ブラックが扮していて、その調子のよさがなんとも味わい深い、という褒め方もヘンだが(笑)。車椅子のホアキンをナマの男として見てくれる、天使のような女性に、ルーニー・マーラ。まったく、役者は勢揃いなのであるが。しかし、なにか、隔靴掻痒なものを感じる。ホアキンがハンサムすぎる。しかし、最後に出た、ホンモノのジョン・キャラハンの写真もハンサムであったから、やはりハンサムで悪いことはなかったのか。普通、ここまでの重度のアルコール依存症になった人間に、未来はない(自動車事故で半身不随になる前も後も、主人公はアルコール依存から抜け出せない)。だらだらと、「介護」の世話になり続けるだけだ。つまり……ハンサムであることによって、救われる人生がある……と、私なんか皮肉にも見た(笑)。

 

 


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『ハンターキラー 潜航せよ』──『レッドオクトーバーを追え!』が懐かしい(★★★) [映画レビュー]

『ハンターキラー 潜航せよ』(ドノヴァン・マーシュ監督、 2018年、原題『HUNTER KILLER』)

 

 叩き上げの、米海軍攻撃型潜水艦、艦長のジェラルド・バトラーのでかい顔は、それなりに、暗い潜水艦の中では目立つ。粗い演技も、まあ、こういう仕掛けの映画には、妙に共感を呼ぶ。が、しかし、きわどいスジに配慮しすぎで、アメリカ大統領は、女性。一方、ロシア大統領は、プーチンとは似てもにつかない、筋骨隆々の美丈夫。主演バトラーも、助演オールドマンもイギリス人、捕虜となるロシア潜水艦艦長の俳優は、スウェーデン人。で、どういう筋立てかというと、行方不明の米潜水艦の捜索命令を受けた、潜水艦「キラーハンター」が、極秘裏にロシア海域に侵入すると、そこには、攻撃を受けたロシア潜水艦が漂っていた──。

 近づいて、攻撃された穴をみると、それは外部からの魚雷攻撃ではなく、内部の爆発物だと、ノンキャリアでも現場の経験豊富な艦長のバトラーは判断する。内部には、生存者がいて、ロシア人の艦長と部下が二人。二人を救助し、捕虜とする。一方、ロシアでは、国防大臣がクーデターを謀り、大統領を拘束、アメリカを核攻撃しようとしていた……。ことを、ロシアに潜伏していたネービーシールズが、知り、参謀本部に、ドローン画像を送る。

 「ハンターキラー」に攻撃命令が下るも、世界戦争を避けるため、バトラーは最後までこらえ、相手に先に攻撃させて、迎撃し、相手を壊滅させ、ロシア大統領を救う……てなハナシなんですけどね(笑)。そして、バトラーは、あの大顔で、あくまでりりしく、観客の感動を誘う。ま、こういうリアリティのなさでも、感動できるヒトはいいですね、という、そういう映画。

 最後までエンドクレジットを見ていたのは、私ひとりでした(笑)。アレック・ボールドウィンが副艦長(艦長は、ショーン・コネリー!)だったかな、で、最高にかっこよかった、『レッドオクトーバーを追え!』(1990年)がなつかしー(笑)。この映画の超豪華キャストには眼を見張るばかりである。もう30年近くも経っていたなんてね。




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『リヴァプール、最後の恋』──リトル・ダンサー、ジェイミーの体が美しい(★★★★★) [映画レビュー]

『リヴァプール、最後の恋』(ポール・マクギガン監督、 2017年、原題『FILM STARS DON'T DIE IN LIVERPOOL』)

 

『ラッキーナンバー7 』(2006)で、パズルのような展開を見せた、ポール・マクギガン監督ゆえに、今回も、そう簡単には、老いた女と若い男の恋を描かない。たとえ、女が往年のスター女優で、四度の結婚、そして、その夫のひとりは、義理の息子にあたる人物で、しかも、今回の「恋人」と、ほぼ同年の息子もいても、お互い独身であるのだから、世間的には、とくに咎めだてされるものではない。それを前提に、若い男の方の、家族(母、父、兄)が、二人に協力し、支えてくれる。アットホームな(笑)恋愛モノなのである。これが、男が年上の方だったら、なんの問題もない、というか、ドラマも生まれないことであろう。

 アネット・ベニングはそうすきな女優ではないし、対する、若い恋人役の、ジェイミー・ベルも、地味で色気もないように思った。しかし、若い男との恋は、私のテーマ(笑)なので、見ないわけにはいかなかった(笑)。見てびっくり、こんな陳腐なハナシを、実に魅力的に、おしゃれに作っているのである。ハナシは飛ぶが、スピルバーグの『ウェストサイド・ストーリー』のリメイクに期待がかかる。

 『リトル・ダンサー』のジェイミー・ベルは、やはり、ダンスが得意なのか。トラボルタの踊りをマネするシーンはすばらしい。何度でも見たくなる。しかも体がたいへんきれいで、顔の作りは地味ながら、端正な表情が出せる。若い男が、冷やかしでなく、本気で年上の女を愛する誠実さが伝わってくる。一方、アネット・ベニングも、素顔を晒し、シワもシミも、フェイスラインの崩れ具合も、恋愛にはなんの支障もないことを納得させる。

 ジェイミー・ベルが部屋のドアを開けるたびに、時間が飛んで過去のシーンへと展開し、舞台じたてのようであり、リヴァプールと、ニューヨーク、カリフォルニアの、舞台の国と、ハリウッドを比較させ、ベケット、シェークスピア、テネシー・ウィリアムズなどへの、言及、引用をし、最後は、ほんとうの恋の終わりに涙を流させるという趣向は、たいへんなワザである。




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『記者たち 衝撃と畏怖の真実』──事実かも知れないが、映画は紋切り型(★) [映画レビュー]

『記者たち 衝撃と畏怖の真実』( ロブ・ライナー監督、2017年、原題『SHOCK AND AWE』)

 

 まず確認しておきたいことは、「大手新聞社」などというが、アメリカには、日本のような、いわゆる全国紙はない。ワシントン・ポストも、ニューヨーク・タイムズも、地方紙である。また、9.11以降の、ブッシュ大統領の「テロとの戦い」の中で、イラクのフセイン大統領が、大量破壊兵器を隠し持っているという「ウワサ」は、イラクの反政府勢力と、CIAとのやりとりのなかでできあがった「神話」ではないか。それを、ブッシュが「テロとの戦い」で利用した。当時、「テロとの戦い」がアメリカ政府の最大の関心事であった。どんなことをしても、にっくき「テロ」と戦わねば、アメリカという国の威信が保てない。そういう思惑のもとに、イラクへの空爆が始まった。空爆ののち、踏み込んでみたら、大量破壊兵器はなかった。これは、まぎれもない事実で、政府の多くの人々は、「よく調べもせずに」それを信じて、多くの命を犠牲にした。それを、当時国務長官だったコリン・パウエルは、「生涯の恥」として、その自伝で、誤りを認めている。

 以上は、大雑把な周知の事実であり、この映画は、有力メディアが踊らされたなかで、「ナイト・リッダー」という、多くの地方紙を傘下に持つ新聞社の「記者たち」が、唯一真実を求めたということだが、そのあたりの「詰め」、「表明」が、曖昧かつ甘いように感じた。とくに、物語の切り口と人物が、紋切り型かつ予定調和で、監督のロブ・ライナー自身が、クリント・イーストウッドのつもりか、正義派の編集長という、いい役をとって、自身をかっこよく見せてオシマイ(笑)。あまりに大雑把な「記者たち」の活動であった。





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『ブラック・クランズマン』──スパイク・リーの最高傑作!(★★★★★) [映画レビュー]

『ブラック・クランズマン』(スパイク・リー監督、 2018年、原題『BLACKKKLANSMAN』)

 

 スパイク・リーは、『ドゥー・ザ・ライト・シング』から観ている。おちゃらけのようで、「やがて悲しき鵜飼いかな」というか、すごい深みに入っていく、といった作風は変わらない。今回、主演のジョン・デヴィッド・ワシントンのオトッツァンの、デンゼル・ワシントンをとことんセクシーに撮った、『モ’・ベター・ブルース』のような、ロマンティック映画も得意で、マイケル・ムーア風辛辣さも得意で、実は、巨匠というのにふさわしいが、存外賞に恵まれていないのは、もしかしたら、「差別」なのかもしれない。スパイク・リーこそは、真にラディカルな黒人の論客と言えるかもしれない。貧弱な肉体から発される、過激な思想と華麗なフィルムメーキング。

 黒人刑事がKKKに覆面捜査官として「電話で」潜入。「姿」は、白人だが、ユダヤ人かもしれない、アダム・ドライヴァーが担当する。このコンビが新鮮で、なかなかいい。ドラヴァーはふて腐れぎみで、ワシントンは、どこか白けている。つまり、ふたりともクールなのである。熱血漢からはほど遠い。そして、白人は悪者ばかりでなく、この警察署では、一応、心ある白人が存在して、それらが、KKKのデータ集めのため、このコンビの捜査に協力する。「白人悪役」グループは、まー、揃えも揃えたりの、いかにも悪役ヅラばかり。KKK会員の夫に協力するデブの奥さんも含めて。一方、黒人グループは、大学の活動家のヒロインをはじめ、かわいい、清潔、美しい、まっとうな姿の人々を揃えている。

 映画の構成は、KKKの集会と、黒人のプロテスト集会を同時進行させ、交互に描くのも斬新かつサスペンスがある。これぞ、ほんとうの黒人映画。しかも、マジではなく、70年代ではあるが、ストーリーも、音楽も、ズラしている。つまり、21世紀の解釈が入っている。

 最後には、クリント・イーストウッドもつかっている手法で、実写フィルム(現実の事件の)へと繋げていく。これを、芸がないと取る素朴なレビュアーもいたが、これは、高度なテクなのである。ちょっと一回では、重要な細部を落としているようで、もう一回観る必要があるナ。




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(ベルイマンの)『沈黙 』──ゴダールもフェリーニも含んで超然(★★★★★)(生誕百周年、デジタルリマスター版) [映画レビュー]

『沈黙』(イングマール・ベルイマン監督、 1962年、原題『TYSTNADEN』)

 

 基本的な着想は演劇ではなく音楽的な法則に従ったとベルイマンは言っている。バルトーク『オーケストラのための協奏曲』で始まる。ゆえにいわゆる「効果音」はなく、ホテルの部屋の内部で、姉が鳴らすラジオからバッハの協奏曲が流れるが、それもBGM扱いではなく、堂々主役を占めているかのようである。

 なんの説明もないまま、女二人(これがベルイマンのモチーフでもあるが)が列車のコンパートメントに座っている。もう一人、5歳ぐらいの男の子がいる。女の一人が咳き込み、ハンカチを口に持っていくと、ハンカチには血がついている──。ここから、この女の命がそう長くないことを想定させる。

 二人の女がホテルにいる。続き部屋の豪勢なホテルだ。やがて、二人は姉妹であり、反目しあっているのがわかる。病気の症状が落ちつくと、姉はタイプを叩いて「仕事」をする。作家かと思ういきや、「翻訳家」と明かされる。

 スエーデン語、ノルウェー語、フィンランド語は、すべて違う。老給仕が現るが言葉が通じない。「翻訳家」の姉は、彼に、フランス語、ドイツ語で話しかけるが、どうも違う言語のようである。やがて、顔という単語が、「カシ」と発音される言語だとわかる。つまり、架空の国。実際、映画の国がどこかに似ているとしたら、「戦前と戦後のベルリンだけがふさわしい」とベルイマンは言っている。事実、街路を、戦車が通っていく。しかし、登場人物は、極端に少ない。

 姉、妹、妹の息子、老給仕、妹がカフェで「ひっかける」男、こびとのショー一座。それだけで、「劇」が形づくられる。とりわけ印象的なのは、少年といっても、就学前のように見受けられる、彼のまなざしと行動である。彼は犬っころのように、奔放で、従順で、意味不明であり、「じっと見つめる」。そう、じっと見つめる、ホテルの廊下の突き当たりにある、ルーベンス風の、男女の裸体画を、母親が見知らぬ男と、ホテルのべつの一室でキスしているのを、老給仕を、こびとたちを。ここには、のちに、ゴダールが、フェリーニが、キューブリックが、インスパイアされたのではないかと思われるシーンがある。

 妹は姉から見下されるのが耐えられないと、言い訳しながら、そう言い訳である、街で男を拾ってセックスしまくる。そう、欲望の突出である。ベルイマンのひとつのテーマにそれがあるように思われる。欲望、あるいは、ただの激しさ、それが突如、なにげない日常のなかに屹立する。今回は、「音楽/沈黙」の裂け目が、人間の生の突出として描かれている。





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『仮面/ペルソナ』──ベルイマンの望んだ題名は『映画』。DVD鑑賞は無効。(★★★★★(★など意味ないが(笑)) [映画レビュー]

『仮面/ペルソナ』( イングマール・ベルイマン監督、1966年、原題『PERSONA』)

 

 ベルイマンの望んだ題名は、「映画」。ギリシア悲劇からとった、「ペルソナ」は、なるほど、この映画を「わかりやすく」はしているが、本来のベルイマンの意図とは違う方向、商業映画の方へ行っている。ベルイマンが望んだものは、「劇」であり、それは、劇作家ストリンドベリの世界であり、演劇/映画の限りない「淵」である。いま、ベルイマン特集でデジタルリマスターが上映されている。美しいモノクロの世界。1966年作だから、当然カラーは存在した。しかしモノクロ。それゆえ見えてくるものがある。惜しむらくか(笑)、この映画からは、冒頭の、ゴダールをも思わせる、といっても、たぶん、「真似た」のはあちらだろうが、さまざまなイマージュの断片が挿入される、そのなかから、日本向けに、「ペニス」が削除されているが、その「分断」こそがテーマである。映画館での映画体験こそを目指した映画であるので、レンタルDVDなどで、「スジ」を追って、「仮面」をかぶって人は生きている──系の、「感想」を持つ観客などはなから排除されている。眼に焼き付くは、スラプスティック喜劇、漫画、映画のシーン、とりわけ、過ぎ越しの祭りだかの、犠牲の羊の頸動脈を切られるさいのうつろなまなざしである。そういったイマージュの断片を無視して、失語症の女優と彼女と生活を共にする看護婦(当時)の関係を云々してみても意味のないことである。

 看護婦は失語症の女優を前に、自分のことを語り続ける。その状況は、精神分析医を前にした患者である。患者であるはずの女優が、看護婦の自己を語る言葉を聞き続けることによって、セラピストになっているのである。そして、画面に映し出される俳優たちの顔の大写しは、現実ではここまで近寄れない距離であり、近寄っても顔全体を見ることは不可能な距離である。それは映画だからできることである。このように、画面が語る物語に引きずり込まれるのであって、決して薄っぺらな、「仮面」のあてこすりにではない。DVDでは、なにも観たことにならない。この(Yahoo!)レビュー欄も、DVDで観た者は無効にすべきである。

 演出家の鈴木忠志は、演劇の「一回性」ということを唱えていたが、ベルイマンは映画(当然、劇場鑑賞のみの)の一回性を意図している。




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『運び屋』──イーストウッドがつける人生のオトシマエ(★★★★★) [映画レビュー]

『運び屋 』(クリント・イーストウッド監督、2018年、原題『THE MULE』)

 

「100歳まで生きたいなんて、99歳の老人しか思わない」なんてセリフが生きる、老人映画。超高齢化社会のヒーローとして、ご老体が登場しだして久しい。いろいろかっこいい老人が登場したが、極めつけはこの人。リアルに人生のオトシマエのつけ方を示す。それは、終盤の、逮捕されたあとの裁判に表れる。いくら90歳とはいえ、法を犯したことには間違いはない。しかし、朝鮮戦争で活躍した退役軍人であり、前科もない。女性弁護士は、情状酌量を求めて熱弁をふるい始める──と、そこへ、「ギルティ!」と、被告の爺さんが自ら言う。裁判長は、「被告本人が言うならどうぞ」ということで、イーストウッドは立ち上がり、自らの罪を「有罪」と下す。そして逮捕、刑務所へ。ということになる。娘と孫娘は驚く(元妻は少し前に彼を許し、かつ会いに来てくれたことに満足して死んでいた。逮捕のきっかけとなったFBIの麻薬捜査官、ブラッドリー・クーパーも驚く。そして──。

 老人は刑務所の花壇で、デイリリー(鬼百合のように見える華麗な百合)を作っている。その花こそ、冒頭に登場し、主人公のアール老人が、人生をかけた花であった。この花の栽培で成功し、夢中になり、家族をかえりみず、好き勝手やって生きてきた……。一人娘は12年半も彼と口をきいていなかった。事業も傾いていた。そんな彼が、90歳になって、ひょんなことから、麻薬を運ぶことになった。最初は知らずに。それが大金になって、家族の幸福にも役に立ったし、家も手放すにすんだ。しかし、それは、存外大きな犯罪へとなっていった。なにしろ、運んだ麻薬の量がハンパではなかったのである。そんなアールにいろいろな人間が絡んでくる。アンディ・ガルシア分する麻薬王、彼の手下たち、捜査官のブラッドリー・クーパー、元妻のダイアン・ウイースト、超豪華キャストである。しかし彼らが示すのは、さりげないやさしさである。決して大上段に構えた映画ではない。しかし、老人が自らを「ギルティ」と宣言したとき、イーストウッドは自らの人生のオトシマエをきちんとつけたように思った。泣けた。

 エンディングの音楽は、やはりイーストウッドの音楽趣味のよさをあらためて思い出させてくれた。





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『ビール・ストリートの恋人たち』──ブルースを聴け!(★★★★★) [映画レビュー]

『ビール・ストリートの恋人たち』( バリー・ジェンキンズ

監督、 2018年、原題『IF BEALE STREET COULD TALK』)

 

ビール・ストリートとは、アメリカ南部、テネシー州メンフィスにある古い黒人街にある、ブルースの創始者、黒人作曲家、W.C.ハンディが住んでいた通りである。

 ジェームズ・ボールドウィンは、ただの「原作の黒人作家」ではなく、非WASPのアメリカを代表する作家である。当然、非WASPには、ユダヤ人も含まれ、ベロー、マラマッドなどが、ボールドウィンと並ぶ。

 本作は、ほぼ、原作通りに、話者が、若い女性の、ティッシュの視点で貫かれ、過去と現在と、時間が自由に操られ、ともすれば、社会モノになりかねない作品の、深い内面化に成功している。ボールドウィンは、黒人だが、社会的なスタイルを持つ作家ではなく、プルーストにも通じるような、内面的な作家であり、そこから批評性がより強烈に表現される。

 映画が描き出すのは、ごくあたりまえの黒人の一家である、それは、小津安二郎の世界にも通じるような、ほんわかした生活がある。両親があり、姉妹があり、幼なじみの恋人がいる。

 ただひとつ違っているのは、その恋人が、レイプ犯として逮捕されてしまうことである。ここから、話者の女性、通称ティッシュの苦悩が始まる。恋人を疑うなどということは、まず考えられない。だから、一家中が、彼の無実を証そうと奔走する。『失われた時を求めて』では、日常を綴ることによって、プチブル、貴族社会の構造が明らかにされるが、本作では、絶望的な差別社会が浮かびあがる。

 もともとはネイティブの土地であった、アメリカ大陸を、WASPが略奪し、アフリカから黒人奴隷を「輸入」した。それが、差別の構造の土台である。この土台の上に、恋人たちの愛がある。そして、絶望ゆえに、黒人たちは暴動を起こす。鎮圧に向かった警察や軍隊が、「個別に」、黒人たちを襲撃する。そういう世界を暴露するのが、ボールドウィンである。

 そして、その絶望の魂を歌うのが、ブルースである。映画は、多くのブルース、ソウルの歌手たちを引用し、1970年代の叫びを、現在に届ける。だから、ブルースを聴け!




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『グリーンブック』──自分が黒人だと思ってみろ!(★★★★) [映画レビュー]

『グリーンブック』(ピーター・ファレリー監督、 2018、原題『GREEN BOOK』)

 

 今は、「アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)」なるものがあり、その見地から見れば、本作は、「痛快な作品」となる。どうせ喜んでいる日本人の観客は、自分は黒人ではなく、その精神は、かつて南アフリカにあった、「名誉白人」の精神構造と似たものであろう。しかし、肉体的に、瞬時で白人でないとわかる。そこを忘れているのは、おめでたいというほかない。

 確かに、二度目の助演男優賞を射止めた、マハーシャラ・アリも、ヴィゴ・モーテンセンも、立ち姿美しい俳優たちで、ほのぼのな感じでのロードムーヴィーであるが、社会の基礎に、絶対的差別が存在する社会があり、その差別を垣間見せてくれた点では、意味のある映画であった。そして、「名誉白人」(?)のシドニー・ポワチエはじめ、ハリウッドの黒人俳優は、アファーマティブ・アクションの上に乗っかっている黒人と言っていい。本作も、物語は、紋切り型の差別ものへと進み、水戸黄門ではないが、最後は、黄門さまが、葵のご紋の印籠を出してメダシタシメデタシである。庶民の映画はそうあらねば、おじいちゃん、おばあちゃんは納得してくれない。

 本作の、ドクター・シャーリーは、クラシックの天才ピアニストで、すでに有名であるが、1960年、黒人差別の色濃く残る、南部へ意識的に演奏旅行にいく。『グリーンブック』とは、黒人が宿泊可能なホテルが列挙してある冊子である。ここに、黒人といえば、「ジャズ」という、すり込まれ差別が存在する。映画は、そこを告発するまではいかず、高級ホテルで招待演奏家なのに、レストランで食事させてもらいないシャーリーが入る、黒人が経営しているレストランに入って、即興演奏を頼まれる。そこへ、常連の黒人ジャズメンが加わり、思わぬ「セッション」は映画のクライマックスである。

 しかし、ジャズからさえ黒人が追放されていた事態もあるのである。アメリカにおける黒人差別は、過ぎ去った問題ではなく、アファーマティブ・アクションによって見えなくなっている問題であり、決してぬぐい去られてはいない。だから、もっとよく黒人について考えてみるべきだ。というので、次は、ジェームズ・ボールドウィン原作『ビールストリートの恋人たち』を観るつもりだ。





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