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『THE GUILTY/ギルティ 』──低予算、ワンカットでここまでできる(★★★★★) [映画レビュー]

『THE GUILTY/ギルティ』(グスタフ・モーラー 監督、2018年、原題『DEN SKYLDIGE/THE GUILTY』)

監督グスタフ・モーラー

 

 ワンカットのみの映画。警察の緊急電話のオペレーターは、かかってきた電話の内容を判断して、警察の各部署に切り分けるのが仕事。刑事物にはしょっちゅう出てくるが、まさかそのオペレーターが主人公で、ほとんど出ずっぱりだとは……。そんな映画はこれまでなかった、というか、彼の表情のみがドラマを作っていく映画は。

 普通日本で、低予算というと、『カメラを止めるな』のような、いかにも手作り風をもとにまんま作ってしまうが、本作は、考えてみれば、『カメラを止めるな』より経費ははるかにかかっていないだろうな、と思うが、まったくそのことを感じさせない。ひたすらひとりの俳優の言葉と表情でミステリーを構築していく。そして、展開は、存外ミステリーの常套を踏んでいるのである。それゆえ、恐怖感も猟奇的なところもない。

 主人公のオペレーターは、つい最近までは現場の警察官だったことがわかる。ある「失態」によって、現場から離されて、オペレーターの仕事をしている。

 物語の中心となる緊急電話がいきなりかかってくるのではなく、いくつかの、よくある事故で救急車などを呼びたいという電話を受け、さばいているうちに、その電話はかかってくる。緊迫した女の声。まずは、オペレーターが気をきかして、相手に、イエスかノーかで答えさせる。

 「誘拐されている?」「イエス」。そして実働班が「現場」を探し、かつ、白いワゴンを追う。いまは、GPSなどのおかげで、ある程度特定できるが、高速を降りられてしまうと、これまた迷路に入ってしまう。なんとかケイタイで電話をかけてきた女性の命が危ない……。オペレーターの指示で、彼女は自宅の子ども気づかって電話しているふりを装い、オペレーターからの指示を受け続ける──。

 ささやかながら、「二人」の人生が交わる。彼女の自宅で一人でいる六歳の少女をも気づかって、そちらにも指示を与えるオペレーター。少女がいうには、赤ん坊の弟、オリバーもいっしょらしい。

 デンマークの有名な俳優かもしれないが、ハリウッドの俳優のような華はない。どこといって特徴のない中年男。

 題名の「ギルティ」とは、女性を拉致している元夫、女性がしでかした事実、そして、オペレーターの関わった事件における彼の立場をも示している。結局、その「事件」に関わることによって、オペレーターは、女性と彼女の元夫を救い、自分は罪を告白する──。

 

 そのハリウッドでは、リメイクが決まっていて、ジェイク・ギレンホールがオペレーターを演じるらしい。……まったく違う映画になってしまいそうだが(笑)、期待はたかまる。

 

 


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『女王陛下のお気に入り』──ギリシア人監督に複雑な英国史は無理だった(笑)(★) [映画レビュー]

『女王陛下のお気に入り 』(ヨルゴス・ランティモス監督、2018年、原題『THE FAVOURITE』)

 


 現代の物語でギリシア悲劇の構図を描いてみせた同監督の前作『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』 (2017)は、なかなか面白かったし、まあ、予告篇もそれなり「おもしろそう」(実はこの予告篇は映画のおもしろ部分の「すべて」だった!(爆))だったので、観ることにした。


 開けてビックリ玉手箱(笑)。えーーー? 『大奥』(って言ってる人はレビュアーの中にもいた)だって、将軍の閨房生活をメインに語りながら、徳川幕府なるものの構造を全体としては見せていたのに、この映画はどう? 女の三人の肉体関係「だけ」で、まるでイギリス政治が動いていたかのよう。


 スコットランド人(!)のジェイムズ7世の「2番目」の娘、アンが、イングランドの女王となった時代、スコットランドとイングランドの「合同」問題(今日まで尾を引く)が背景にあり、かてて、フランスとイングランドの戦争(主に海戦だから費用がかかる)、かててオランダからの資金流入、多量のイングランド国債の発行、地方地主への重税、その重税によって国家を支えていく「財政軍事国家」。こうした複雑な政治世界が、女の三人の「レズ合戦」で動いていると信じるアタマの方々が結構いて、私は心底怖くなりました(爆)。


 まあ、本作の「長所」といえば、宮廷がそれなりリアルさをもって描かれていたことでしょうか。とくに、細長いホール。これは、廊下でもあり、パーティー用にこうなっているんでしょうか。ヴェルサイユ宮殿に行ったときのことを思い出しました。あの時代の「宮殿」は、だいたいあんな設計なのかな〜?てなことぐらいですかね。お庭で排尿、排便は、トイレのなかった時代には、ヴェルサイユ宮殿とて同じこと。それにつけても、アン王女がブスで、女官と召使いが美女とは言えないでしょう。レイチェル・ワイズも、エマ・ストーンも、『バイス』のクリスチャン・ベールのように、体重を20キロ増やして、ノーメークなら、けっこうアン王女役もいける(爆)。


 ひゃー、悪いんですけど、ヨルゴス・ランティモス監督、イギリスの歴史を一から勉強してください。でないと、『聖なる鹿殺し』が、まぐれだったような気がしてしまいますから(笑)。


 あ、意味ありげなバロック音楽やカメラワークは、多少なりとも、グリーナウェイを意識してるんでしょうか? はるかに及ばないんですが。


 


 


 


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『ファースト・マン』──レトロ感漂う魂の映画にIMAXはいらない(★★★★★) [映画レビュー]

『ファースト・マン』(デイミアン・チャゼル監督、2018年、原題『FIRST MAN』)

 

 ひとはなんのために、宇宙開発をするのか? 虫の眼で見れば、覇権争いのためだろうか。ひとはいつから、いま自分が生活している場所から、空の方へ行って見ようと思ったのか? いちばん身近な天体としては月があり、太陽よりも、簡単に行けそうである。アインシュタインが宇宙のあり方についての理論を創り上げ、ホーキングがそれをさらに進化させた。しかし、それらは、あくまで理論だ。いま、AIの存在があたりまえになり、なんでもコンピューターで制御できる時代から見ると、デジタルではなかった時代、つまりは十分なコンピューターがなかった時代に宇宙ロケットを作り、それを月に飛ばすなど、狂気の沙汰に見える。ゆえに宇宙飛行士には、高い知性が必要とされた。ただ体格がいい、運動神経が優れているだけではだめなのである。自らも、技術を持って、「計算」しなければならない。ちなみに、言っておけば、AIとは、プログラミングからなっており、人間対ロボット、ではなく、プログラミングできない人間と、プログラミングできる人間に分かれていくのが未来の図だと、識者たちは言っている。さらに時代が進めば、そんなこともばからしいようになっていくだろう。したがって、60年代が科学的に劣った時代だとも言えない。「科学とは方法論にすぎない」と小林秀雄も言っている。

 ゴダールも知らないバカが、画面が揺れる、ぶれる、アップが多いとほざいていたが、この手法は、ゴダールがそれこそ何十年も前から使っていた手法である。おそらく手持ちカメラか、あるいはそれを意識した方法で撮られていると思われる。アナログの時代のアナログ感を、カメラも必死にまとおうとしている。訓練施設のリアルなチャチさ、宇宙船内部から見える視界、などなど。そして宇宙服を着たライアン・ゴズリングのヘルメット越しの表情。ほとんど目元のみ。

 愛娘を失ったニール・アームストロングが、数々の試練を乗り越え、まるで娘に導かれるようにして、月の地を踏む「ファーストマン」となる。それは、彼の魂の物語であり、それをよく映像化しえていたと、まずは、われわれも、讃えるべきではないか?

 IMAXのために作られたと、Yahoo!映画の批評家氏は書かれていたが、私も、『ブレードランナー2049』などは、IMAXで観て堪能したが、手持ちカメラ風のレトロ感漂う魂の映画にIMAXはいらない。



 


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『未来を乗り換えた男』──意余って力足りず(★★) [映画レビュー]

『未来を乗り換えた男』(クリスティアン・ペッツォルト監督、 2018年、原題『TRANSIT』)

 

 ミケランジェロ・アントニオーニの『さすらいの二人』が意識されているのかどうか。死んだ男になりかわり、その男の妻に会いに行く──。魅力的な設定だ。ひとは誰でも、他人になりかわってみたいと思う瞬間がある。それが今の自分より決して幸福な生だという保証はなくとも。そんなテーマに、あの『あの日のように抱きしめて』の監督が挑んだ。だが、ひどくがっかりした。なぜなら、現代にナチスを導入することによって、歴史が都合のいいようにねじ曲げられ、SFですらないような平坦な作品に堕してしまっている。たしかに、ナチスの時代にたとえられるような時代であるとしても、それは比喩の範疇を超えない。そこのところを曲解して進んでしまっているため、難民の切迫性も、リアルも出て来ない。『フレンチコネクション2』では、魅力的な街であったマルセイユも、そのいかがわしさや猥雑さが漂白され、どこにでもあるような港の街と化している。ドイツ語を話す主人公も、その相手役の女優も、とくに印象を残さないような凡庸さである。

 『あの日のように抱きしめて』では、第二次大戦下の非情さが、夫婦であった主人公たちの駆け引きのもとに浮かび上がり、シェークスピアの『空騒ぎ』だったか、それからとられたジャズのスタンダード曲の、『Speak low』がいつまでも心に残った。だが、残念ながら今回は、なにも残らない作品となった。

 このような設定には、大胆なカメラワークが必要なのであり、アントニオーニはそれを心得ていたと思うのだが。

 

 


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『天才作家の妻 -40年目の真実-』──「あいまいな北欧の作品」(★) [映画レビュー]

『天才作家の妻 -40年目の真実-』(ビョルン・ルンゲ監督、 2019年、原題『THE WIFE』)

 

監督に関する情報はほとんどないが、名前はなにやらスエーデン風。しかもYahoo!リストにある作品は本作のみ。『ドラゴン・タトゥーの女』もそうだが、北欧が舞台で、北欧の息のかかった映画は、すべて、「あいまいな」いやらしさをまとっている。ノーベル賞は、誰もが知っている、究極の賞だが、理系はともかく、文学界となるとどーでしょーかねー? 近年の受賞作に、おもしろい作品なんかあるんですか? あれって、誰がどうやって選ぶのでしょう? 少なくとも、候補を。……てな具合で、およそ賞にまとわりつく胡散臭さも極めつきの感があり、授賞パーティーやホテル、機内の様子からして、ゴージャス感はまるでなし。扱っている世界はゴージャスだが、一目で低予算映画とわかる。『カメラを回せ』といい勝負。だいたい、当の作家の夫がクズすぎて、しかも、その役をやっている、ジョナサン・プライスがてんでその器ではない。かててくわえて、なにかとわけしり顔の微笑みを見せるグレン・クロースも、いい年こいて色気丸出しで、成熟度ゼロ。

 だいたい、文学や芸術に「作者」は必要か?という、現代哲学のテーマなど考えてみない人々が、テキトーに撮っただけって「あいまいさ」も、北欧らしい。物語というのはほぼ出尽くして、いまや「編集」、音楽でいえば、シンガーソングライター(松任谷由実)より「編曲」(松任谷正隆)しだいで、芸術になるかどうかの世界で、誰が「書いたか?」などどーでもいいことなのである。文学のサンプルも見せず、抽象的なほめ言葉だけで、ノーベル賞作家モノが聞いてあきれる。まあ、「ノーベル賞」は、スエーデンの、唯一のお国自慢なんだろー。その昔は、「フリーセックス」(爆)なんてのもあったが。

 グレン・クロースは、ジュディ・デンチに、演技とは何かを教えてもらうべきだ。



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『マイル22』──スパイ映画のバージョンは完全に変わった(★★★★★) [映画レビュー]

『マイル22 』(ピーター・バーグ監督、2018年、原題『MILE 22』)

 

 スパイ映画というのは、米ソの冷戦時代に、イアン・フレミングなどが、情報に通じた作家として描いたのが黎明期であり、ある意味頂点であった。その後、米ソの対立は、東西の壁の崩壊と、「ソ連」内部の政治体制によって、「敵」としての「国家」の存在が説得力をなくしていった。そしてインターネットによる情報の秩序の混乱により拍車がかかり……それでもなお、「米ソ」に戻って来た(笑)……というか、ソ連はロシアになっていたのだけど。というのも、先のトランプ政権誕生の裏で、「大活躍」のロシアであったからだ。世界の覇権争いには、いまや、中国というパラメータが介在しているが──。

 そんな中で、スパイ小説の作者はもっぱらイギリス人というのがあった。おっと、MI6とKGBの戦いの歴史もあった。まあ、なんでもいいが、そういう図式は終わってしまった。しかし、ひところのスパイ映画の「敵役」は、民間人のワルモノ、というのも、なんとなくリアリティがなかった。それでやはり、ロシア対アメリカに戻るが、それは、国家対国家というより、情報機関対情報機関である。そこには、個人の思惑が結構入り込んで、その「テクニック」も複雑になっている。

 いまや、ICチップを注射した特殊部隊(一人一人の、顔写真、心拍数、体温などデータが本部の画面に映し出される)が、衛生から受け取り分析される画像の、「本部」からの指示によって「神の視線」を獲得しながら、敵と戦うことができるが、それでもなかなか思うようにはいかない。精鋭部隊が守るのは、東南アジアで亡命希望している男で、その男は、行方不明になったセシウムの在処を知っている。それが敵に渡れば、何十万人の命を奪うことができる。その男の命を狙って、さまざまな敵が現れる。マーク・ウォールバーグの仕事は、それらの敵をかわしながら、男を、合衆国の飛行機が出る空港まで送ることである。ウォールバーグが優秀な軍人出身で、それゆえ、トラウマを抱え、彼のトラウマは、痛み中毒というもので、腕にはめたゴムバンドをパチンとやってその痛さを、まるで麻薬のように味わう。ロマンスも、ラブシーンもなく。あるのは、男女の別ない苛酷な戦闘のみである。それでも、画面は美しく眼を奪われる。コンピューターが描き出す、戦闘のリアルな動きは、図式化され、繊細な絵のように美しい。それらをもとに、「司令室」は、ジョン・マルコヴィッチのリーダーのもと、「次の一手」を指示していく。指示はされても、瞬時に判断して動くのは戦闘員である。そして、ときおり映し出される、ロシア情報部の幹部たちの姿──。その男の外形は、たしかに、東南アジア系のように見えるのだが──。

 私は、本作を観て、アンジェリーナ・ジョリーの『ソルト』を思い出した。CIA部員が、幼少時から育てられたロシアのスパイだとしたら……? 本作は、二重スパイの映画ではなく、「三重スパイ」……と、マルコヴィッチは死ぬ間際につぶやく。

 ウォールバーグは、またして実直に、複雑なスパイ合戦のなかで精一杯戦う、そのニュートラルな表情が、どんな匂いもさせずに、新しい時代のスパイ映画を演じきっている。

 

 


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『アリー/ スター誕生』──女優誕生(★★★★★) [映画レビュー]

『アリー/ スター誕生』(ブラッドリー・クーパー監督、2018年、原題『A STAR IS BORN』)

 

 4度目のリメイク作品になる映画である。本作以外の3作品とは、1『栄光のハリウッド』(1932年)ジョージ・キューカー監督、2『スタア誕生』(1954年)ジョージ・キューカー監督、3『スター誕生』(1976年)フランク・ピアソン監督。2の主演はジュディ・ガーランド、3の主演は、バーブラ・ストライザンド。私はそのどれも観ていないが、1899年生まれ、今生きていれば、119歳(笑)のジョージ・キューカー監督の、最後の作品『ベストフレンズ』(1981年)を20代で観ている。ジャクリーヌ・ビセットとキャンディス・バーゲンが親友でライバル同士を演じた豪華な作品は、メグ・ライアンがどちらかの娘役として出ているが、当時、キューカー監督は、女性を美しく撮るのに定評があると言われ、そのことだけは忘れずにいた。

 ブラッドリー・クーパーがそのことを意識していたかどうか知らないが、彼もその監督魂を継承して、奇態な風貌の印象があったレディ・ガガを、ものすごく美しく、ナチュラルに撮っている。こんな自然で美しい女優がいたのかと思ったほどである。

 超有名歌手の男に見出され、スターの階段を昇っていく歌手志望の女と、その女と反対にスターの階段を転がり墜ちていく男。しかし、二人の愛は深まっていく──。ありそうでないラブロマンスである。そんな物語を、圧倒的な歌唱とオリジナリティの歌で綴っていく。今年の観納めにふさわしい映画である。

 


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『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』──今年なにもいいことがなかったと思っている人へ(★★★★) [映画レビュー]

『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生 』(デヴィッド・イェーツ監督、2018年、原題『FANTASTIC BEASTS: THE CRIMES OF GRINDELWALD』)

 

 作り物といえば、リアルな親子や恋人同士の葛藤も、作り物なのであるが、そういう設定だと、なぜかホンモノだと思ってしまう観客がいる。そういう観客からすれば、本作など、子ども騙しのファンタジーなのだろう。『ハリー・ポッター』の原作者のJ.K.ローリングが、「魔法」を題材に選んで物語を書き始めた時から、書くことには困らないことは目に見えていた。選んだもん勝ちである。

 「ファンタスティック・ビースト」っていうくらいだから、架空の動物がテーマで、それらをめぐってあれこれ物語が展開するが、ハナシが、人間の血縁の方へ逸れてしまっているのは、人間臭くて、残念である。しかしまー、ジュード・ロウやジョニー・デップなど大物俳優が、魔法といっしょに遊んでくれるのだから、気持ちは結構あがる。少なくとも、『スター・ウォーズ』よりは、動物たちも華やかで魅せる。映像も美しい。で、まー、今年何もいいことがなかったという人は、こんな映画で、一年を締めくくってはどうだろうか?


 


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『ボヘミアン・ラプソディ』──ラミ・マレクはアカデミー賞を取れるか?(★★★★★) [映画レビュー]

『ボヘミアン・ラプソディ』(ブライアン・シンガー監督、

 2018年、原題『BOHEMIAN RHAPSODY』)

 

 イギリス社会というのは、容易に移民を受け容れてくれるけれど一歩奥へ踏み込むと、異人種に対して徹底して扉を閉ざしていると、長年イギリスに住んでいる外国人が言っていると、佐藤優の著作にあった。

 本作のキモは、「パキ」(この言葉は、ダニエル・デイ・リュイス主演の『マイ・レフト・フッド』で初めて聴いたが、と差別的に呼ばれる、イギリスに住むパキスタン人の、しかも、日本でいう、出っ歯(?)の男が、ロックグループのボーカルとして、世界的に成功し、最後はエイズで死んでいくまでを描いている。そのロックグループは、インテリ揃いで、音楽の作り方も前衛的である。その前衛が、いかに、大衆の心をつかんでいくかを、ことさら重点的に描いている。さすが、『ユージュアル・サスペクツ』のブライアン・シンガーである。

 私は「クィーン」なるグループの名前ぐらいは聞いたことがあったが、なんら関心はなかったが、予告篇が非凡であったのと、フランス『プレミア』誌(ネット版)で、クィーンのギタリスト、ブライアン・メイが、カリスマ的ボーカルのフレディ・マーキュリーを演じた俳優、ラミ・マレクを、アカデミー賞に値する、フレディそのものだと賞讃していると報じていたので観る気になった。

 この「怪優」、実際はアメリカはカリフォルニア生まれの白人で、出っ歯でもないのかもしれないが、「なりきり」では、ダニエル・デイ・リュイスを超えているとも思える。まさに、大衆の心を惹きつける真の芸術とは、オペラやシェークスピアなどを取り込み、それらを超えて、オリジナルなものを創造していくことにある。当時はシンセサイザー音楽も華やかなりし頃であったが、徹底したアンチ・シンセサイザーも、音楽としても深さを感じさせる。すでに絶大な人気であったのかもしれないが、今こそ音楽的に、再評価されるべきであろう。本作は、その成り立ちと価値を十分に描き得た。恋愛や恋人(男女とも)とのエピソードなど、本作の本意ではないだろう。やはりこれだけのものを描くのには、9年という月日が要った。

 


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『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ 』──超ハードボイルド(★★★★★) [映画レビュー]

『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』 (ステファノ・ソッリマ監督、2018年、原題『SICARIO: DAY OF THE SOLDADO』)

 

 前作で、ある意味正義の視点を持っていた、エミリー・ブラントが抜けて、むんむん男臭さ丸出しの二人のオッサンが残り、センチメンタルという批評家氏の言葉はまったくあてはまらない、超ハードボイルド的状況を描いている。

 ジャック・ニコルスンの『ボーダーライン』から、何かと問題の温床である、アメリカとメキシコとの国境界隈であるが、CIA特別捜査官が政府高官の質問に答えて曰わく、「二十年前なら麻薬が運び込まれてました。今は人を運んでいます」。つまり、その人の中に、まともには、合衆国に入国できない、イエメンからのテロリストが含まれている。今回は、彼らが引き起こしたテロ事件が発端となり、テロに屈しないアメリカを示すため、CIA部員らが動員される。彼らは命令とあれば、平然と人を殺す。そうやって、作戦の収拾をつける。今回の作戦は、麻薬カルテル王の娘を誘拐し、メキシコに内戦を引き起こすことにあったが、この作戦は失敗する。ここがリアルなのである。その失敗及び、作戦の存在を隠すため、CIAの上層部は、わざと誘拐した麻薬王の娘の少女を含めて、皆殺しにしようというのである。しかし、このオペレーションに初めから携わった、CIA捜査官、ジョシュ・ブローリンが個人的に雇った、暗殺者(もとは、判事だったかなんかだったが、家族を麻薬王一味に殺され、復讐を胸に秘めている)、アレハンドロ(ベニチオ・デル・トロ)が、少女を連れて彷徨するうち、人情なようなものに目覚め、というより、最初から失っていないのであるが、それは、冷徹なブローリンも同様である。

 この抗争劇には、国境付近に住む少年たちがチンピラ、のちに、シカリオ(原題でもある)=暗殺者に「昇格」する、も絡んでくる。デル・トロは、そういう手下グループに正体をつかまれ、年長者に命令された、暗殺者を目指す少年に銃殺される──。しかして、その銃殺は、完全ではなかった。頭巾を被らされたデル・トロの頭部は無事で、頬あたりに弾は貫通していた──。おそらく、デル・トロが瞬間的に動いて、頭部を避けたのだろう。数時間のちか、半日のち、トロは体を動かし始める──。

 たかが国境だが、そのなかには、世界の問題がすべて含まれている。それを本作は、超ハードボイルドとして描いている。


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