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【詩】「Char、そして雨」 [詩]

「Char、そして雨」

 

Hypnos saisit l'hiver et le vêtit de granit.

L'hiver se fit sommeil et Hypnos devint feu. La suite appartient aux hommes.*

 

ヒュプノスは冬を捕まえ冷たい花崗岩の服を着せた。

冬は眠くなりヒュプノスは火になった。そして彼らは人間に属した。

 

そして雨。

雨は神話では語られず

東洋の湿度のなかで

眠りの役目を果たす

癒しと

かの国はスペイン

海の向こうにはイングランドがひかえ

訪れたことなど遠い昔のように

 

なにがひとを癒すのか?

なにが神を癒すのか?

なにが物語を癒すのか?

 

それは解体という名の

神の逃亡

 

きみはつぶさに見るべき

立ち直るために

 

 

******

 

* RENÉ CHAR 'Feuillets d'Hypnos'  ("Fureur et mystère"

 

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【詩】「花びらとしての物語」 [詩]

「花びらとしての物語」

 

クロード・シモン『アカシア』のページを開けば、T.S.エリオットの『四つの四重奏曲』からの詩篇が引いてある、

現在も過去も未来のなかに現前し、

未来は過去のなかに含まれるという意味の行

そして目次は、12章をローマ数字で示し、Ⅰ 一九一九年 とか、ⅩⅡ 一九四〇年 とかある。その間、年代は一九八〇年になったり

一八八〇年になったりする。

「彼女たち」の描写。

「彼女たち」が誰なのか、わからない。

ただただ描写されるだけで、いっこうに、ストーリーは

わからない。あきらかに、蓮實重や金井美恵子はこの作家の

エピゴーネンであることはわかるが、それ以上、この作家が

なにを描こうとしているのか、わからない。これは、

大いなる、長い長い夢のような詩なのではないだろうか。このような小説を書く作家は、日本では、金井美恵子や蓮實重しかいないような気がするが、どうだろうか。小島信夫も違う。小島はむしろできごとを延々と書くだろう。ここではできごとさえないのだ。ヌーボーロマンなるものが一時はやったが、あれとほぼ同じで、あ、もしかしたら、シモンは、ヌーボーロマンの代表者だったかもしれない。ナタリー・サロートとか、同じような書き方をする。そう、映画的なエクリチュールでもある。ただ映像を流している。その際、黒い服とかレースとか、女の肉体が示されるが、まだ事態は知らされない。

ヴェール、キャフェ、オムレツ……

父の車に乗り「遠州」に行ったとき、まず、

熊切というところ停まり、生け垣の向こうから

「キヨコ姉」が出てきたときのようだ、

パーマネントで、ちゃんとした服装をして、

「そこで」働いているといった。

「キヨコ姉」は笑い、手を振って、

車が遠ざかるのを見ていた。

あれから時間が過ぎ、ギリシア悲劇のように

「キヨコ姉」は目が見えなくなり、夫からも疎まれ、

兄である、私の父は死体になった。

「足を拭いてあげてください」納棺師の女性に言われ

足を拭いた。爪が伸びていた。

色のない固まった足。もし、生きた時間があるなら、

それは、白く香る

アカシア

決して

物語は

知ることができない。



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【詩】「フーコー最後の問い」 [詩]

「フーコー最後の問い」

 

1984年に死んだ、ミシェル・フーコーが

198210月にアメリカのヴァーモント州のヴァーリントンに3週間滞在し

ヴァーモント大学でテーマを掲げ、学生や教授たちと研究を共有した、そのテーマに関する講義が、彼の、まさに人生における

最後の講義となった。それは、すでに性の問題からは抜けだし、

 

われわれの時代における自己とは?

Que sommes-nous en ce temps qui est le nôtre?

 

という問いに行き着いていた。これは十八世紀後半から起こっていることであり、カントはテクストのなかに明確に書いているという。

それは、まさに、われわれの時代まで

続いている。この

ネットの時代こそ

さらに浮かび上がる問いだ。つまり、

瞬時に移り変わっていく

状況において、

自己はどのように構成されているか?

あなたの

ふとした

ひらめき

よくぼう

うちけし

さらに芽生える

よくぼう

それは、色濃いものではなく

さりとてかき消えてしまうものでもなく

応仁の乱の

兵士たちの

フランス革命の

ギロチン台の

パンの

シベリアの凍土の

海中のネットのケーブルの束の

スパイの

共和国の

クーデターの

発覚の

破れたシャツの

独房を生き抜いた男の

荒海の

イメージの

硬直した死体の

墓の

こころの

分離の

数式の

叫びの

民族の

知識の

無知の領域の

あなた

は、どんな本を読み、いかなる表現を

夢見ているのか?

あなたを構成しているものはなにか?

書いたものの

集積

からも分析される

あなた

 

そんな問い

 

je donnerais volontiers l'appellation d'ontologie formelle de la vérité.

真理の形式存在論とでも呼んでおきたい問い。

 

そして私は、

この詩をもって、この詩集を閉じようと思います。



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【詩】「重力/虹」 [詩]

「重力/虹」

 

もののとらえ方は外部から

だけでなく内部から

もあることは

ベルクソンが長い間

研究して示した

たいていのひとは外部だけを

描写する。それを

存在だと信じる

闇のなかをゆく

列車

ずっと高いところにガラスの

天井があって

いまにも

崩れそうだ

いまがいつなのか

わからない

あと

三十億年待て

主体なのか

客体なのか

その両方なのか

その

どちらでもないのか

すでに

虹は出て

重力のありかさえ

知らない

意志が

訂正した。あと、

四十億年待て。



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【詩】「死んでいくあなたへ」 [詩]

「死んでいくあなたへ」

 

たぶん、あなたは、

死んでいく。十分に理解し合えたとはいえず、十分に楽しい時を過ごしたとはいえず、見つめあって微笑み合い、満足した数も記憶からは消え去り、ぬくもりさえも

伝わらず、声だけが

陰気な響きで、耳の奥に残っている

出会いさえも奇跡とは思えず、

さりげない

日常のすきまに

消えていく

そのように

あなたは死んで

私の前から

姿を消すのだろう

これほどの

悲しみを

いかなる表現で

刻めよう

はじめ

声だけがあり

それからWord(語)が作られ、それから

Letter(字)が作られた

その時間の流れのなかにただ

佇むことしかできない。

 

 

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【詩】「夢に溺れて」 [詩]

「夢に溺れて」

 

夢に溺れていた。

夢はどんな物質でできてきるのだろう?

水ではなさそうだ。

物質ではなく、精神のようなもの?

すべては脳内で起こっていたこと?

息苦しいほど孤独で

すべての知識は無効で

自分であることが不幸で

母だけが癒せる

母を求めていた

宇宙の「向こう側」には何が「在る」んだろう?

「問い」だけを櫂のように使って

宇宙の向こう側へ

あのね

と、夢はささやいた

あの人があなたを探していてね、ちょっとしたメモを残していったよ、

その木の枝に、その人の名前が書かれた紙切れが付けられている

私はその木を見て紙切れを見つけた。そこには、

名前だけがあり、それを見て、

ショックを受けた。

忘れていた名前

失念の向こうに大きく

空のように広がっていた名前

しかし誰よりも強く

影響を受けた名前

そのとき

宇宙の向こう側が

なんでできているのかを

知った。




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【詩】「石原慎太郎『太陽の季節』」 [詩]

「石原慎太郎『太陽の季節』」

 

江ノ島が見えてき〜た、オレの家も近い(クワタケースケ、オオトリケースケとは違うヒトです)

江ノ島とか

鎌倉とか

ヨットとか

ギターとか

加山雄三とか

アデランスとか

加瀬邦彦とか

そーゆー

お坊ちゃま文化があり、

地方の田舎のやつらには

なんか手が届かない

歎きの壁のような

排除構造があり

その一角で青春を送った

石原慎太郎が書いた処女

小説で「文學界」新人賞からそのまま

芥川賞になり、映画化され、弟の

裕次郎を主役にし、

裕次郎はそのまま

スターになって

金持ちは金を呼ぶ

社会そのまんまに

サーロインステーキ症候群みたいな

病に倒れ、石原プロは裕次郎よりイケメンの

渡哲也に引き継がれた、渡も、「兄弟」で

芸能界などで稼いだが、渡の出身地は、

玉ねぎで有名な

淡路島だ。江ノ島とは意味合いが違う島のね

石原慎太郎の名前は、いまだ、

お貧乏な純文学ザッシに載れば、

売れる? のかどうか、

最近も載っているのを見た。でもさー、

このヒト、『太陽の季節』以上の作品

書いてないぜ。

それを読んだヒトも、そうそういないのでは?

私は読ませていだきました。すごい小説です。

こんな小説、ラディゲだって書けんでしょう。すごい場面があります。ナニで襖を突き破るシーンです。あれは、

実際にやったことなんでしょう。あんな

バカなことは、

江ノ島のオボッチャマしかやらないでしょう。しかし、

クワタケースケは、もっと賢かった。しかし、

文化勲章で戯れるくらいなら、辞退した方が、

かっこよかったのにね。まあ、

あたしら、痴呆……あわわ、地方の

少年少女だったものには、あんまり

関係のないハナシですが、あたしなんか、

熱海の海岸の方がいいと思いますがね。

弁天島(静岡県浜松市)が見えてき〜た

あたしの家も近い〜

男に生まれなくて

よかった

death

 


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【詩】「ユリシーズ」 [詩]

「ユリシーズ」

 

ああ、また、ユリシーズの日がやってくる。堂々とした押し出しの、バック・マリガンが、ガウンをなびかせて、彼らの下宿である塔の螺旋階段を下りてくる。朝のマイルド・ウィンドが、ふんわりと、ガウンの裾を持ち上げる。マリガンは、片手にひげ剃り道具の、カフェオレボールみたいなボールを持って、その上に、鏡と剃刀を十字形に置いて……なにやらわけのわからないラテン語を口走る。

「キンチ、上がって来い、この恐れをしらぬイエズス会士め!」そう、スティーブン・ディーダラスに向かって言う。それから先は、丸谷才一氏におまかせします。むしろ訳なんてどーだっていい、要は、19222月に、パリの、シェークスピア&カンパニーから、ジョイスの『ユリシーズ』初版本、1000部が出たということ。1000部って、少ないみたいだけど、けっこうな数じゃないか。いま、マリガンなんて名前を聞くと、丸顔童顔の女優を思い出す。そして、バック・マリガンの役にふさわしいのは、ラッセル・クロウかな、などと考える。

ホメロスの『オデュッセイア』は読み通したが、ジョイスのこれは、ついぞ読まないまま、本だけ黄色くなっていった。そして浮かぶは、テオ・アンゲロプロスの『ユリシーズの瞳』のハーヴェイ・カイテルの揺れるでかまら(パリで観たから無修正だった)。そう、最後のページだけは知っている。レオポルド・ブルームの妻の意識。Yes because he never did a thing like that before as ask to get his breakfast in bed with a couple of eggs since the City Arms hotel when...改行句読点なく46ページ続き、yes I said yes I will Yes.

 

で、終わる。彼は、これを、トリエステ、チューリッヒ、パリで、1914年から1921年までかかって書いた、と記してある。

 

「実際の」オデュッセウスは、魔女の呪いにあって、10年の間、海を漂う。神話か創作か、神話をもとにした創作か。

いずれにしろ、オデュッセウスに、「実際」は、ないだろう。

 

私のペンギン版『ユリシーズ』は、表紙を犬に食われてしまった。オデュッセウスが故郷に辿り着くと、犬だけが、彼と気づく。


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【詩】「プルーストの記憶」 [詩]

「プルーストの記憶」

 

ひえだのあれの『古事記』、あるいは、ホメロスの『イリアス』、『オデュッセイア』、あるいは、ボルヘスの「不死の人」

ではないが、プルーストの

『失われた時を求めて』を全文、もちろん仏語で、

暗記しようと思っている。その甘い夢、

いまそらで書くと……

Longtemps je me suis couche tard...

「記憶で語るのが正しい」とソクラテス先生は言ったそうな、

『記憶よ語れ』はナボコフの自伝のタイトルである、

コミュニズムになって亡命

アメリカへ行くために、膨大な

ヨーロッパ及びロシア文学の

講義原稿を作っていったナボコフ。

アメリカの大学に就職、しばし働いたが、やがて

『ロリータ』の成功によって、大学の仕事を辞し

専業作家となる。

『ロリータ』はパリだったかの、

ポルノ専門の書店から出た。

日本でいえば、『O嬢の物語』を出した

二見書房のような

渋澤龍彦訳のこの本を、私は何度も読み、

欲情した。これほど扇情的な文学はない。

なにせ女を調教。肛門の穴を拡げさせるため、

常に、穴に器具を挿入した状態にする

下着を常時着けさせる。そして、

卑しい下男に犯させる。そして、

記憶しているかぎりの最後の一行は、

「こうして革命が始まった」

だったか。そんな感じ。記憶で語れば、

『失われた時を求めて』は、

一編の詩。


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【詩】「それをお金で買いますか?」 [詩]

「それをお金買いますか?」

 

いちご

麦わら帽子

天使

思い出

記憶

詩集の装丁

賞讃

友情

憎しみ

花壇

りんご

Twitterのフォロワー

SNSのフォロワー

信用

つけまつげ

芸能界デビュー

社交界デビュー

政権

石鹸

空海

真言宗

留学

僧の留学

地球

宇宙

終末






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