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【詩】「城」 [詩]

「城」

 

カフカの「城」を読んだ時、すぐに遠州だと思った。遠州は平地の村落ではない。明石山脈の一部の山間の集落だ。豊橋から軽自動車で朝発っても、山また山を越えるうち、父の実家である、「かどじま」と呼ばれる集落に着くのは夜になる。集落の背後には、闇の中に高い山が聳えている。そしてその頂上には、永久に辿り着けないような気がする。あるいは、トーマス・マンの『魔の山』。ハンス・カストルプは健康体で、山の療養所を訪ねながら、病んでそこを降りることになる。行けども行けども、曲がりくねった山道ばかりで、向こう側は見えない。ゆえに車は警笛を鳴らし合う。警笛で反対側から車がやって来ることを知る。そして、一方の側は山肌、反対側は深い谷川の道で対向する車同士がすれ違う時は、どちらかがいったん、二台の車が並ぶスペースまで下がる。見知らぬ同士でも、ある種の親しみが、それぞれの車に乗っている人々に湧く。それは疲れた旅人の心を癒す湧き水のようである。山が示す空間の深さ。それはそのまま、未来都市のようでもある。そして闇は霧で、ひとはそこで不条理というものを受け入れる。それは夢の構造によく似ていて、半覚醒とまどろみが支配している。起こった事件を知りたいのに、探偵は渦中にあることに気づけない。決して読み終えられない小説10冊をあげよ。山は言う。

1『ユリシーズ』(ジョイス)、

2『Les Bienveillantes』( Littell)、

3『失われた時を求めて』(プルースト)、

4『指輪物語』(トールキン)、

5『Belle du Seigneur』( Cohen)、

6『特性のない男』(ムジール)、

7『赤と黒』(スタンダール)、

8『ボヴァリー夫人』(フローベール)

9『百年の孤独』(マルケス)、

10『夜の果てへの旅』(セリーヌ)

*

夢は夢じたいを読み解く鍵として、上記のような回答を、いつかどこかに示してくれる。それは半世紀後のある雑誌に書かれている。だがそのリストには『城』もカフカもない。なぜならそれは、ついに到達できなかったもうひとつの実存であるから。

 

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*印のリストは、

France Culture

 

2017/10/6の記事より

 


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【詩】「かじさん」 [詩]

「かじさん」

 

かじさんは、「税務署のおばさん」のパートナーで、遠州の家に親戚一同が集合する時にはよくおばさん(私にとっては大叔母さんなのだが)といっしょにやってきていて、みんな「かじさん、かじさん」といって大事なひとみたいに扱っていた。かじって、変な名前だなと私は思ったが、漢字さえならっていなかったので、どんな漢字だろうという発想はなく、生涯に出会う人物のひとりとして記憶に刻んだ。いや、そんな意志など存在するはずもない。闇の万華鏡の図柄のように存在していたといった方が正しいだろう。いったいひとは生涯に、なんにんの人々と出会うのだろう。袖擦り合うとかそういうレベルのひとはカウントしないで。せめて口を聞いたり、名前を認識する人々。かじさんには男の子がいて、おばさんたちは「ボク」と呼んでいた。ボクは、「かじしげる」という名前を持っていた。私も「ボクちゃん、ボクちゃん」と呼んでつきまとっていた。ボクちゃんの包帯の手をしっかりにぎった写真があるから、初代ボーイフレンドだろう。私より三歳ぐらい年上だったか。ボクちゃんは、おばさんの子どもなのだろうと思っていたが、そうではなかった。おばさんは、河合しげという名前だった。のちに「かじか寿司」を開くひろゆきは、おばさんの子どもだった。もうひとり、品子という女の子がいた。おばさんは戦争未亡人だった。誰もがかじさんは、おばさんの愛人なのだろうと思っていたが、実はそうではなく、ただ子持ちのヤモメ男、今の言葉で言えば「シングルファーザー」を気の毒に思って、ボクをあずかっていたのだった。実は愛人だった、というのは世の中によくある話だが、実は愛人ではなかったというところに、遠州の美しい逸話がある。そのように、遠州はどこまでも透明な記憶を、晩秋の夜空に鏤められた星々のように私に与えた。いまもはっきりと思い出すかじさんの顔。大きな赤ら顔で、鬼瓦のような顔だったが、いつも照れたように笑っていた。そうか、親戚ではなかったか。知らない、よそのおじさんだったのだ。遠州の人々はそんなことなどまったく構わずに受け入れた。それは、「私」の家の食卓にやってくる、ムッシュ・スワンを思わせなくもなかった。おばさんはトイレで倒れて死んで、警察だかがかけつけたとき、身につけていた時計や指輪はすでになかったという。おばさんは何度も引っ越し、最後は豊橋の外れあたり住んでいたと思う。おばさんは口が悪かったから、近隣の者に憎まれていたかもしれない。

 

かじか。かじ。かじしげる。

 

火事。

 

「精神分析は、ついに心像をして語らせるにはいたらなかったのである」*

 

夢は意味を裏切り、打ち砕く。

 

遠州の川原に、鷹の死骸。

 

 

*****

 

註:*印の括弧内は、ミシェル・フーコーの「処女作」、ルートヴィヒ・ビンスワンガー『夢と実存』に付された序文より引用




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