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【詩】「かじさん」 [詩]

「かじさん」

 

かじさんは、「税務署のおばさん」のパートナーで、遠州の家に親戚一同が集合する時にはよくおばさん(私にとっては大叔母さんなのだが)といっしょにやってきていて、みんな「かじさん、かじさん」といって大事なひとみたいに扱っていた。かじって、変な名前だなと私は思ったが、漢字さえならっていなかったので、どんな漢字だろうという発想はなく、生涯に出会う人物のひとりとして記憶に刻んだ。いや、そんな意志など存在するはずもない。闇の万華鏡の図柄のように存在していたといった方が正しいだろう。いったいひとは生涯に、なんにんの人々と出会うのだろう。袖擦り合うとかそういうレベルのひとはカウントしないで。せめて口を聞いたり、名前を認識する人々。かじさんには男の子がいて、おばさんたちは「ボク」と呼んでいた。ボクは、「かじしげる」という名前を持っていた。私も「ボクちゃん、ボクちゃん」と呼んでつきまとっていた。ボクちゃんの包帯の手をしっかりにぎった写真があるから、初代ボーイフレンドだろう。私より三歳ぐらい年上だったか。ボクちゃんは、おばさんの子どもなのだろうと思っていたが、そうではなかった。おばさんは、河合しげという名前だった。のちに「かじか寿司」を開くひろゆきは、おばさんの子どもだった。もうひとり、品子という女の子がいた。おばさんは戦争未亡人だった。誰もがかじさんは、おばさんの愛人なのだろうと思っていたが、実はそうではなく、ただ子持ちのヤモメ男、今の言葉で言えば「シングルファーザー」を気の毒に思って、ボクをあずかっていたのだった。実は愛人だった、というのは世の中によくある話だが、実は愛人ではなかったというところに、遠州の美しい逸話がある。そのように、遠州はどこまでも透明な記憶を、晩秋の夜空に鏤められた星々のように私に与えた。いまもはっきりと思い出すかじさんの顔。大きな赤ら顔で、鬼瓦のような顔だったが、いつも照れたように笑っていた。そうか、親戚ではなかったか。知らない、よそのおじさんだったのだ。遠州の人々はそんなことなどまったく構わずに受け入れた。それは、「私」の家の食卓にやってくる、ムッシュ・スワンを思わせなくもなかった。おばさんはトイレで倒れて死んで、警察だかがかけつけたとき、身につけていた時計や指輪はすでになかったという。おばさんは何度も引っ越し、最後は豊橋の外れあたり住んでいたと思う。おばさんは口が悪かったから、近隣の者に憎まれていたかもしれない。

 

かじか。かじ。かじしげる。

 

火事。

 

「精神分析は、ついに心像をして語らせるにはいたらなかったのである」*

 

夢は意味を裏切り、打ち砕く。

 

遠州の川原に、鷹の死骸。

 

 

*****

 

註:*印の括弧内は、ミシェル・フーコーの「処女作」、ルートヴィヒ・ビンスワンガー『夢と実存』に付された序文より引用




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