「ヨーロッパに一匹の妖怪が徘徊している」 [なんとなくエッセイ]
Ein Gespenst geht um in Europa...
「ヨーロッパに一匹の妖怪が徘徊している」
この言葉が最近はときおり頭に浮かぶが、マルクス、エンゲルスの『コミュニスト宣言』では、このあと、「コミュニズムという妖怪が」と続き、「古きヨーロッパのいっさいの勢力が、この妖怪を退治するための神聖な捕り物に加わるべく団結している。教皇とロシア皇帝が、メッテルニヒとギゾーが、フランスの急進派とドイツの警察が」となる。
果たして今は、妖怪の姿はなんだろう? コミュニズムではなく、資本主義(Der Kapitalismus)か? もっと新しい概念の妖怪かもしれないが。
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ここに引用した、Manifest der Kommunistischen Partei の訳は、筑摩書房の『マルクスコレクション Ⅱ』の「コミュニスト宣言」(この箇所は、三島憲一訳)を使用している。従来なら、「共産党宣言」としているテクストを、この本では、「コミュニスト宣言」と訳している。そのわけは、凡例に説明されている。
「一八七二年、八三年、九〇年の各ドイツ語版のタイトルが単に Das kommmunistische Manifest となっていることからも窺われるように、ここでの Partei には今日的な意味での『党』をイメージさせるほどの強い意味はなかったと思われる。また共産党、共産主義などの訳語は、あまりにも共同「生産」組織としての側面を強調しすぎており、原語に含まれるコミューン(共同体)としての解放的ニュアンスが伝わりにくい。このニュアンスを生かすならば「コミューン派宣言」という訳語が原語に近いかもしれないが、本書では定着した訳語との懸隔を配慮して、「コミュニスト宣言」とした」
(写真は、ロンドンの寂れた感じ(?)のスタバ((白い文字のない)バンの向こう))
作家高橋源一郎氏はなにを考えているのか? [なんとなくエッセイ]
Facebookで、作家高橋源一郎氏の以下のTweetが引用されていた。読んでみると、どこか違和を感じたので、思ったことを書いておく。以下のTweetに「共感」した人々も少なからずおりました。あからさまな、テロリズムへの「復讐」(国家総動員法への道を開きかねないと危惧される)よりも、このような微妙な言辞の方が問題だと思う。
だいたいこういう問題になると、すぐしゃしゃり出てきて、なかば良心的な、なかば庶民の味方的な、そして大いに(とくに③)「文学的な、あまりに文学的な」「良心的文化人」のふるまいを、感傷的文体で書かずにはいられない、子だくさん(孫とも思えるような幼い子どもを小説や、Tweetにも書いて、メシのタネにしているのは、まあしかたないとして……(笑))、高橋ゲンちゃんなのだった(笑)。
日本の、3.11のときには、『恋する原発』なる作品を書き、被災者に必要なのは、「救援物資」ではなく、「言葉だ」といった人です(笑)。
このツイートにも、その「抽象的なふるまい」は現れています。
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「高橋源一郎氏」のTweetより
人質』問題について、頭から離れなかったこと。- 高橋源一郎 http://bit.ly/1A7ZGEc
「①パイロット焼殺動画を(少しだけ)見た。ある映画監督は彼らの動画に『ハリウッド映画の文法がある』と思えると言った。ぼくにも、そこにある種の『審美眼』あるいは美意識さえあるように思えた。彼らを、人間の心を持たない獣だと非難できたら簡単だったろう。だが、美意識は人間だけがもてるのだ」http://bit.ly/1EUqtF4
「②アウシュビッツで『死の天使』といわれた医師メンゲレは、クラシック音楽の愛好家で、到着したユダヤ人たちをガス室に送るか選別する時、それから人体実験をする時、オペラのアリアを口ずさんだ。彼にも美意識はあったのだろう。非人間的な残虐さは恐ろしい。だが、人間的な残虐さもっと恐ろしい」http://bit.ly/16NaTg2
「③彼らの動画や行動を見ながら、彼らは『死』そのものに惹かれているのではないかと思った。あらゆる宗教の奥底に、彼岸を憧れる余り死に強く惹かれる部分がある。彼らを否定し非難し憎んでも無駄なのかもしれない。それこそが喜びだから。彼らが嫌がる唯一の反撃は生の側から理解しようとすることだ」http://bit.ly/1zRIwHL
「④彼らを理解することは『テロリズム』を理解することだ。『テロリズム』は絶望から生まれる。希望がないから破壊にすがるしかないのだ。だから、いくら滅ぼしても、希望がない場所では『テロリズム』は再生する。この世界が生きるに値する場所だと信じさせることしか、彼らを真に滅ぼす方法はないのだ」http://bit.ly/1FsuDBF
「⑤彼らの最大の特徴は『他者への人間的共感の完璧な欠如』だ。だが、これは『テロリズム』の形をとらずに、ぼくたちの周りにも広がっている。いちばん恐ろしいのはそのことだ。死を産み出す『深淵』は、実はぼくたちの近くにある。呑み込まれてはならない。その時、ぼくたちの未来はなくなるだろうから」http://bit.ly/1uympHa
*身代金に関する4つの誤謬 http://on.fb.me/1z3hwCo
*ドイツは平和を必要とし、平和を願っている。- アドルフ・ヒトラー、1935年 http://on.fb.me/1DLEz7O
いわゆるひとつの桑田問題 [なんとなくエッセイ]
桑田佳祐が、ライブで、紫綬褒章を取り出して、「5000円からどう?」とオークションのように「遊んじゃった」演出で、そののち、FAXで、各メディアに謝罪したというニュースがあったが、あれなんか、どーなんでせう?
たとえば、おフランスで、世界的に話題の経済学者、トーマス・ピケティは、レジョン・ドヌール勲章を辞退表明している。桑田も、「遊ぶならもらうナ、もらうなら遊ぶナ」ではないでしょうか(笑)。
まあ、「反骨」を気取るなら、せめて、NHK出演と国がくれる勲章は拒否してほしかったですね。音楽的には天才だと思うけれど。
ロウバイの香り [なんとなくエッセイ]
いいなあ……ロウバイ……と思っていたら、犬友婆さんの家の前を通ったら、おばあさんがちょうど姿を現したところで(って、午後11時頃ですけど(笑))、さっそくお庭に入れてもらい、ロウバイをいただきました。チャック(18歳!♀)の家のロウバイは、落葉低木らしからぬ10メートルくらいの高さで、樹齢60年以上。みごとに匂う木々です。この種が飛んで、べつの場所でも木が成長して花をつけています。そちらの低い方の枝を切っていただきました。家の中に活けた数本でも家中がロウバイの香りに溢れます。
ついでに、たわわに実ったレモンもいただきました。「去年は3個しか実ができなかったのに、今年は山ほど、ヘンねえ……」と、おばあさん。闇の中に黄色いレモンがごっちゃりなっているのが見えます。
あ、おばあさんから絶対の信頼を得ている、チャックの「ご学友」わん太のおかげです(笑)。
ロウバイは梅にはあらずゴドー待つ
うちのクリスマスディナー [なんとなくエッセイ]
クリスチャンではないけど、なんか一年で一番リキの入るクリスマス。やはり、キリストさまがお生まれになったことはありがたいのである。かもしれない。なんせ、「聖書」は、世界一のベストセラーだし。で、少しずつ材料などは取りそろえているので、ケーキとステーキ肉と花を買うために、キリストに敬意を表して(笑)、シャネル№5のパーススプレイ・オードゥトワレット(№5でも、日常づかいできるカジュアルな香り。ふだんは、DiorのJ'adore Voile de Parfum (かなり軽い香り)))をつけて買い物に。
メニュー:ムール貝の蒸したもの(冷凍、生協のできあい)、生ハム、チーズ、ドライフルーツの盛り合わせ、和牛ステーキ、グリル野菜添え、生野菜サラダ、ニンジンスープ、バゲット(Paul)。
今、バロックのクリスマスソングを流して、これを書いている。
「するとどうでしょう、主の御使いが夢で彼(ヨセフ(マリアの夫だが、12歳で初潮を見たマリアを保護するために結婚するように司祭に指示された))にあらわれて言いました。『この少女を怖れてはいけない。彼女が宿しているのは精霊に由るものである。彼女は男の子を生む。そうしたらイエスと名づけなさい。彼はその民を罪から救うのだ」(マタイⅠ・20以下)そこでヨセフは夢から覚めて起き上がり、彼にこの恵みを垂れたもうたイスラエルの神を賛美しました。そして彼女をひきつづき保護するのでした(マタイⅠ・24)」(ヤコブ原福音書(八木誠一訳)『新約聖書外典』(講談社文芸文庫))
身ごもつたマリア輝く枯野かな 山下
「5歳オムツ姿の白骨化で終わった『人生』」 [なんとなくエッセイ]
ヴィゴ・モーテンセンに「ウェルカム・ボート、マム」と言われたい(笑) [なんとなくエッセイ]
(アメリカでいちばんセクシーと思われる俳優、ヴィゴ・モーテンセンと、「アメリカの良心」と言われる学者のハワード・ジン(故人)が友だちであり、モーテンセンは、ジンの活動に協力していたというニュースを見て、急に思い出した↓)
かなり前に、デミ・ムーア(いろいろ「お直し」している俳優が多いが、デミは高校時代の写真と、一番人気のあった頃の写真がほとんど変わらなかった。その後、ストリッパー役のため、すごいお金をかけて、体を「お直しした」とも言われるが……(笑))が、海軍だかの軍人で、「女でもできるキャンペーン」のため、海兵隊に入れられ、地獄の特訓を受ける。生え抜きの男子軍人でもネを上げる、アメリカ一厳しい特訓である。
その教官を、ヴィゴ・モーテンセンが演じた。顔はサングラスをしてよく見えないが、スリムな肢体、アゴのライン、イケメンであることが丸わかりであるが、情け容赦ない鬼の教官である。
デミは鍛え抜かれる。いっさい手抜きなし。教官からは、まるでゴミのように扱われる。しかし、見事合格し、白いマリンの制服を着て、乗船する──。
合格者ひとりひとりを、合格の印を与えつつ出迎える教官。これまで、ゴミのように扱っていた教官が、恭しく手を差し伸べる。
「ウェルカム・ボート、マム」と言って。
(写真は、カンタブリア海@北スペイン、向こうは、イングランド)
上映中にスマホを取り出す困ったジジイ [なんとなくエッセイ]
日曜日に博多駅にあるTジョイに映画を観にいって、タンブラーを忘れてきてしまった。だから、わざわざ、月曜日に、同じ駅ビルでも、阪急デパートにある「忘れ物受付所」まで、とりに行かねばならなかった。
私はめったに忘れ物をしない。席を立った時、なにも置いてないか、席を見るからだ。たまに、家のコーヒーをタンブラーに入れてもっていき、座席に付属している飲み物入れに置いておく。
今回、忘れてしまったのは、五列くらい前で、上映中にスマホを取り出して見ている、ジジイのせいだ。ジジイなので、「でっかいスマホ」を持っている(笑)。だから、暗闇での目立ち方もハンパでないので、映画が見づらい。しかし、ジジイのせいか、「ひとにはわからないと思っている」(笑)。
このジジイが、エンディングで、まだ場内の明かりがついてないのに、またデカスマホを取り出した。それに気を取られて、つい忘れ物がないかチェックを忘れてしまった(笑)。
ジジイがメールチェックでなんの用事があるんだよ〜(笑)。
もー、ほんと、はた迷惑もいいかげんにしてくれ!
で、格言。
****に刃物、ジジイにスマホ
失われた映像を求めて [なんとなくエッセイ]
まったく思い出せないのに毎日思い出す映画がある。
食事の後片付けが終わった食卓をきれいにしようと、消毒もかねて、リビング・クリーナーという、食卓でも使えるというクリーナーのスプレーを、シュッシュッと食卓全面に振りかけてから、布巾で拭くという習慣がある。
そのクリーナーを、食卓全面に振りかけるとき、毎回、20年以上前(?)に観た、『マニトウ』という映画の一シーンを思い出す。
エクソシストもどきの悪魔払いの映画だが、たしかインディアンの悪霊払いのワザが、地面に、シュッシュッと聖水(?)かなにかを振りかける。たき火のようなサークルになった場所を丸くたどり、両手に持った2本に木ぎれをたたき合わせる。そのあと、その聖水を振りかけるのだが、まさに、この動作が、そっくりだよな〜と思いながら、毎回やるのである。
誰が出ていたのか、どういうストーリーだったのか、まったく思い出せない。いま、Amazonで調べてみたら、トニー・カーチスと、スーザン・ストラスバーグが出ていて、けっこう豪華キャストだった。
そうか。インディアンの霊に取り憑かれていたのか……。
記憶というのは妙なものである。
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けふの「お写真」は、「高校生とわん太」