連休中の読書はコレ! [文学]
連休中の読書はコレ↓「週刊誌的でありながら、文学的」詩集。詩集なのに、たくさんの情報が得られる新しいコンセプトの詩集!
「文学座支持会員」必読。杉村春子のすべて(って、ワケぢやないんですが、ほかで手に入らない「情報」満載!
『今はもう誰も杉村春子など思い出さない』
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=103861158
埴谷雄高愛読者必読! ここで「しか」手に入らない「情報」満載!
『ファウスト』
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=103861606
大岡信を悼む [文学]
【大岡信を悼む】
拙詩集『今はもう誰も杉村春子など思い出さない』より
「わが夜の詩人たち」より
「大岡信」
昔同人誌の同人のひとりに、「大岡信の家に遊びに行きませんか?」と言われた。自分が何者でもないのに、会いにいくのはどんなものかと思って断った。しかし、大岡信と口を聞いたことはある。早稲田小劇場の利賀村の芝居で、招待客は列を作っていて、私は熱烈なファンで会員だったので、その招待客のすぐ後ろぐらいの番号だった。「あ、大岡信だ」と思ったが、番号を聞くことにした。「すみません、何番ですか?」と言って、自分の番号札を見せた。大岡信はそれをのぞき込み、「×番……ぼくの後ろだ」と言ってくれた。さっぱりとしたよい人だと思った。私は大岡信を愛読していた。
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今も鮮やかに思い出すのは、半袖の、白のサファリジャケット。白いスーツの、哲学者、中村雄二郎氏と、なにからごそごそ耳打ち話をしていた。鮮やかな、利賀村の森の中の劇場の敷地で。
ちょうど氏の「著作集」を、本棚の「奥の院」(リビングに作り付けの、扉付のめったに開けない本棚)に移動したところだった。エリオット論を書こう思っていたが、急遽、大岡信論に差し替えるか。
『文学賞メッタ斬り!』──「メッタ斬り」という幻想(★) [文学]
『文学賞メッタ斬り!』(大森 望 、 豊崎 由美 著、PARCO出版 、2004年3月刊)
もともとは13年前に出た本で、当時はそれなりに話題になった。著者はいまだに、「「メッタ斬りの」豊崎」を看板に、仮想「アマチュア」相手に、エラソーにしているが、どーでしょう? 看板だけ、「メッタ斬り」で、全然「メッタ斬り」になってないのでは? というのも、この方々の本によって、「メッタ斬り」された作家や出版社、賞などが、少しでも影響を受け、反省した、筆を折ったなどの「効果」はほとんど報告されてないからである。
なんでも、Twitterに陣取って、ご自分に関するツイートには即刻反応、まるで釣り堀のサカナのように(笑)食いついている豊崎さんによれば、いままでずっと、芥川賞を「メッタ斬り」し続けている(確かに、「メッタ斬り」シリーズも、「ファイナル」など、続いているようですが、ほんとうに「ファイナル」にされることを祈ります(笑))ということです。ああ、そうですか(爆)。
本というか、商品そのものが売れない時代に、出版社とて、なんとか売ろうとしているご時世に、本気で「メッタ斬り」されて、喜んで掲載する文芸誌もあるまいに、と思うのに、この著者(とくに、豊崎氏ですが)、本気で「メッタ斬り」していると思い込まれているようです。なにかといえば、自分はプロだと言い張り続けるプロなんて、この人ぐらいです。で、書評家という「立ち位置」ですが、評論家とも違うし、作家が書評しているわけもなく、書評家=ライターと思うのですが、どーも、エラそうさに関しては、文豪気取りですナ(笑)。
この人(豊崎氏ですが)、なにか非常に先入観が強すぎて、相手は「素人」、「本も読まずに批判」と、アタマから思い込んでいるフシがあり、まず、基本のスタンスがそれで、これでは何を言ってもまともな論争にはなりません。
いまどき、どこの作家がこの人の「メッタ斬り」を恐れてますか(爆)?
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(「ちょっと斬らせて」いただきましたー(笑))。
ベンヤミン『パサージュ論』考、その1 [文学]
仏作って魂入れず、などという言葉があるが、ある意味、ベンヤミンの「パサージュ論」は、「仏」だけでできあがっている。その仏も、断片の仏である。
「パサージュが登場するための第一の条件は織物取引の隆盛である」「第二の条件は鉄骨建築が始まったことである」というところからはじまって、どこまでも徹底的に即物的、今のところは、唯物論的と言う人をも拒まないが。
どこまでも断片と引用を連ねて、ひとつの大伽藍を形づくるつもりだったのか。
パリでは、この鉄骨を使って、いくつもの商店を連ねるガラス天井の屋根を作ったが、ニューヨークでは、鉄骨など使わずに、百階建ての、上方に伸びる建物を造っていた。
断片としての詩論 [文学]
ある人がある人に送った冊子で、たまたま送った人とはべつの人の詩を読んだ。そこには、デバイスだの、アーカイブだの、インプットだのというIT用語というのか、そういう単語が、情緒的ともとれる「ストーリー」にちりばめられていた。本人は、それでなにか精神的にハイレベルな概念を説明しようとしたのか、それとも、日常的に使っている言葉を無意識に使ったのか。いずれにしろ、それらの言葉が、その文章を詩ではなくしていると思った。
村上春樹新作『騎士団長殺し』1部、2部 [文学]
【短歌】20161020 [文学]
【短歌】20161020
生け殺し身をまかせつつ契り来し昔を人はいかが忘るる 藤原敦忠
ひとである形をなくし横たはる妻なるひとの職業は美容師 山下
【冒頭翻訳劇場(柴田元幸氏にならって)】ジェームズ・ジョイス 『ユリシーズ』 [文学]
【冒頭翻訳劇場(柴田元幸氏にならって)】
ジェームズ・ジョイス
『ユリシーズ』
Ⅰ
堂々として、まるまる太ったバック・マリガンが階段の天辺から降りてきた、泡のたった石鹸液の入ったボウルを持って、そのボウルの上に、鏡とカミソリを十字に置いて。黄色い、ベルトを結んでないドレッシング・ガウンが、朝の柔らかな風を受けてふうわりと彼の背後で止まっていた。彼はボウルを高く掲げ、抑揚をつけて言った──。
「ワレハ神々ノ祭壇ニ赴カン」
立ち止まり、螺旋階段の暗闇をじっと見下ろし、粗野な声で呼んだ──。
「上がって来いよ、キンチ。上がって来い、このバチ当たりのイエズス野郎」
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James Joyce "Ulysses"
Ⅰ
Stately, plump Buck Mulligan came from the stairhead, bearing a bowl of lather on which a mirror and a razor lay crossed. A yellow dressing-gown, ungirdled, was sustained gently behind him by the mild morning air. He held the bowl aloft and intoned :
_ Introibo ad altare Dei.
Halted, he peered down the dark winding stairs and called up coarsely.
_ Come up, Kinch. Come up, you fearful jesuit.
英訳版『失われた時を求めて』 [文学]
吉田健一が、訳詩集『葡萄酒の色』(岩波文庫)の「付録」の「翻訳論」で次のように言っている。
「翻訳は一種の批評である」
「翻訳に就て確かに言えることの一つは、我々が原作に何かの形で動かされたのでなければ、碌な仕事が出来ないということである」
「原文の所謂意味を取るだけでは原文を理解したことにならない」
「われわれが或る作品を愛読するのでない限り、その作品は存在しないのだ」
「我々が無理をしてでも何でも、その作品の中に入って行けたと思えなければならないので、そこから翻訳すること自体の問題が始まる」
つまり、吉田の翻訳観は、「対象の再現」である。だから、現実の花に魅了されてそれを絵に描けば、それは「自分なりの翻訳」となる。
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「スコット・モンクリイフの『失われた時を求めて』の英訳は、原作より優れていると言われている」
『失われた時を求めて』のフランス語の原作は、アンドレ・ドゥサルディエの朗読のCDをiPodに入れて、犬の散歩の時に、もう何年も聴いているから、最初の部分は暗記している。
「原作よりすぐれている」と言われる、モンクリィーフの英訳はどういったものか、入手して読み始めている。これは、いかなる事態か? モンクリィーフが、プルーストの原文に感動し、彼になりかわって、ぐじゃぐじゃ、不明瞭な原文を、「ほんとうのあるべき姿」に整理してしまったようである(笑)。
モンクリィーフは、半生をその翻訳に費やして、最後の一巻を残して死んでしまったので、別の人間が引き継いで完成した。
とかく、われわれは、「原文に忠実」なのを、翻訳の理想と考えたりするが、異なった言語間では、それは幻想であろう。
モンクリィーフの『In search of lost time』(『失われた時の探求』)は、プルーストががぜん輝いてくるのである。
もっと穿って言えば、ロラン・バルトなどが、小説というよりも、聖書のような文章だと感じた、「聖なる曖昧模糊」を、確かに「小説」にしたのは、あるいは、モンクリィーフかもしれない。
式部の愛 [文学]
昨日(10月27日)は、満月だった。雲の間を出たり入ったり。こんな月を見ると思い出すのは、あの歌。
めぐりあひて見しやそれとも分かぬ間に雲がくれにし夜半の月かな
これは、紫式部が同じ受領の娘である幼なじみと、束の間の再会をしたときに詠んだと言われるが、その時期は、七月十日、いまの暦でいえば、八月末頃である。
一方、今の季節にふさわしい歌は、「勤務先」の藤原道長邸の、年下の同僚、小少将の君が宿下がりしている寂しさを、彼女からの歌の返歌として詠んだ以下の歌。そこには、同性愛を思わせるような「愛」が滲み出る。
ことはりの時雨の空は雲間あれどながむる袖ぞかはくまもなき
小少将の君は、道長の「公式の愛人」であったと言われる。そういう「職」があったようである。