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(ベルイマンの)『沈黙 』──ゴダールもフェリーニも含んで超然(★★★★★)(生誕百周年、デジタルリマスター版) [映画レビュー]

『沈黙』(イングマール・ベルイマン監督、 1962年、原題『TYSTNADEN』)

 

 基本的な着想は演劇ではなく音楽的な法則に従ったとベルイマンは言っている。バルトーク『オーケストラのための協奏曲』で始まる。ゆえにいわゆる「効果音」はなく、ホテルの部屋の内部で、姉が鳴らすラジオからバッハの協奏曲が流れるが、それもBGM扱いではなく、堂々主役を占めているかのようである。

 なんの説明もないまま、女二人(これがベルイマンのモチーフでもあるが)が列車のコンパートメントに座っている。もう一人、5歳ぐらいの男の子がいる。女の一人が咳き込み、ハンカチを口に持っていくと、ハンカチには血がついている──。ここから、この女の命がそう長くないことを想定させる。

 二人の女がホテルにいる。続き部屋の豪勢なホテルだ。やがて、二人は姉妹であり、反目しあっているのがわかる。病気の症状が落ちつくと、姉はタイプを叩いて「仕事」をする。作家かと思ういきや、「翻訳家」と明かされる。

 スエーデン語、ノルウェー語、フィンランド語は、すべて違う。老給仕が現るが言葉が通じない。「翻訳家」の姉は、彼に、フランス語、ドイツ語で話しかけるが、どうも違う言語のようである。やがて、顔という単語が、「カシ」と発音される言語だとわかる。つまり、架空の国。実際、映画の国がどこかに似ているとしたら、「戦前と戦後のベルリンだけがふさわしい」とベルイマンは言っている。事実、街路を、戦車が通っていく。しかし、登場人物は、極端に少ない。

 姉、妹、妹の息子、老給仕、妹がカフェで「ひっかける」男、こびとのショー一座。それだけで、「劇」が形づくられる。とりわけ印象的なのは、少年といっても、就学前のように見受けられる、彼のまなざしと行動である。彼は犬っころのように、奔放で、従順で、意味不明であり、「じっと見つめる」。そう、じっと見つめる、ホテルの廊下の突き当たりにある、ルーベンス風の、男女の裸体画を、母親が見知らぬ男と、ホテルのべつの一室でキスしているのを、老給仕を、こびとたちを。ここには、のちに、ゴダールが、フェリーニが、キューブリックが、インスパイアされたのではないかと思われるシーンがある。

 妹は姉から見下されるのが耐えられないと、言い訳しながら、そう言い訳である、街で男を拾ってセックスしまくる。そう、欲望の突出である。ベルイマンのひとつのテーマにそれがあるように思われる。欲望、あるいは、ただの激しさ、それが突如、なにげない日常のなかに屹立する。今回は、「音楽/沈黙」の裂け目が、人間の生の突出として描かれている。





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