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岸田劉生展 [絵画]

【盆休みスペシャル】「岸田劉生展」

 

実家近くの豊橋美術博物館にて。

麗子像が有名だが、そのほかに、初期の風景画、印象派の画家を追いかけた作品群、白樺派の「一員」(?)として雑誌装丁などがあったが、この作品群が、全体のどれほどの位置を占めているのかは不明だが、こと本展覧会の印象でいうと、影響を受けた外国の画家の後追いに精一杯で、装飾的なものに傾いてしまったこともあって、自己のスタイルを確立するまでに至らなかったという感じ。

写真で見る娘麗子はそれほど無気味ではなく、画家本人が、無気味なものへとらわれていったような……。

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Michael, the cat@Toyohashi [日常]

甥が撮った実家のマイケル(後ろにいるのは弟)

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『オーシャンズ8 』──男には向かない職業(笑)(★★★★★) [映画レビュー]

『オーシャンズ8』(ゲイリー・ロス監督、2018年、原題『OCEAN'S 8


』)


 


 毎度シリーズを重ねてきた「オーシャンズ」であるが、本作を観るかぎり、犯罪、ことに盗みというものは、男には向かない職業だなとつくづく思う。第一男は、金ほしさに盗みを計画する、せこい、いざとなったらびびる、などで、規模も小さなものになりがちである。ところが、女、本作の主役、デビー・オーシャンは、前回までのオーシャン、ジョージ・クルーニーの妹であるが、どうも兄より、犯罪の才能に恵まれていると見た。オープニングは、彼女が出所することろから始まるが、所持品を返してもらうシーンでも、なかにゴージャスな腕時計があって、女性刑務官が「すてきな時計ね」などとお世辞を言うと、「兄のものだったのよ」と表情を変えず(だいたいサンドラ・ブロックは表情がないと言われるので、犯罪者やコメディはぴったりなのだ(笑))答える。


 女性刑務官「お兄さんの遺品?」


 サンドラ「(兄から)盗んだのよ」


 女性刑務官「まあ……」(というような表情をする)


 サンドラ「いいのよ。どうせ(兄も)盗んだんだから」


 女性刑務官、怪訝な表情になり、言葉を失う。


 


 次なる場面。高級デパートの化粧品売り場で、香水など高そうな化粧品をいくつか手にとってレジに向かい、


 サンドラ「返品したいんだけど」


 店員「お買い上げのレシートをお持ちですか?」


 サンドラ「ないわ」


 店員「では、(買った時の)クレジットカードをお持ちですか?」


 サンドラ「ないわ」


 店員「申し訳ありませんが、それでは、返品はお受けしかねます」


 サンドラ「もー……じゃあ、返品するのやめたわ。袋をちょうだい」


 店員「かしこまりました」


 で、高級そうな紙袋を渡す。サンドラ、いけしゃあしゃあと、化粧品を紙袋に入れて出て行く。高級ホテルも、「昔泊まった思い出の部屋をお願い」とか電話して、タダで泊まってしまう。……てなもんで、すべて、自信満々で行う。これが実に胸がすく(笑)。


 


 彼女がムショのなかで1000回シュミレートした犯罪計画を実行に移す。狙うは、世界のセレブが、ニューヨークのメトロポリタン美術館に集まる、「メットガラ」で、有名女優がつける、カルティエの、「1億5000万ドルのダイヤのネックレス」。そのために、さまざまな「専門家」が集められるのは、毎度の「オーシャンズ・シリーズ」のお約束である。もしかしたら、サンドラより格が上の女優かもしれないケイト・ブランシェットが、サンドラの「右腕」にまわり、わりあい抑えめの演技も、かえって役柄のクールさを出すのに成功していた。


 集まられる女たちは、職業も特技も人種もまちまちながら、8人全員、キャラ立ちしており、しかも、ドレスアップの見せ場が作られており、まことに大満足の女度200%の作品であった。


 


 で、最後(最初のシーンにもあったが)に、兄の「墓」(壁にはめ込んである引き出し)の前の椅子に座って、マティーニのようなものを「作って」(材料はバッグから出す)、「やったわよ!」と兄に杯をあげて飲む。


 まー、女の場合、ターゲットのブツだけでなく、周辺のブツ(メトロポリタン美術館にあった)宝飾類などなど、も「ついでに」いただき、その犯行の罪は、かつて自分を裏切った男にすべて着せ、盗んだ宝石をオークションなどで換金する手立ても見つけておき、換金された、総額150億円以上のお金も、平等に8で割って、それぞれの口座に入金されるんですけどね(爆)。


 


 


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【詩】「天皇」 [詩]

「天皇」

 

『私の日本古代史』(新潮選書)の上田正昭によれば、(外来人とウワサされる)大海人皇子が壬申の乱後、天武天皇として即位する時、それまで「大王」という王者の呼び名を、「天皇」と変えた、という。また、はじめて「天皇制」という言葉が出たのは、1931年、共産党の世界組織コミンテルンの「31年テーゼ」草案の時であるという。

『天皇の祭祀』(岩波新書)の村上重良によれば、「古代天皇制の天皇は、イネの祭りに起源する新嘗祭を行う祭司王」であった。

天武のヨメ、持統天皇は、律令制を目指した藤原京を作り、天皇制の基礎、中央集権を始めた。

平安時代後期には、貴族により摂関政治に政治の中心は移り、宮廷は祭祀の場となり、建久3年、1192年7月、征夷大将軍となった源頼朝以降、「国」を動かすのは、幕府となっていく。

建久3年のおれの日記は、3月1日から始まり、5月2日で終わっている。以後、建久7年、1196年2月まで飛ぶ。

 

建久三年五月二日、癸酉、天晴、午時叉雨降、小雷鳴、未後更雨、午時許参舊院、束帯、俄而被始講筵、澄憲爲導師、六十僧着堂許中座、七僧在檻欄内、公卿着弘庇座、……

 

さみだれを集めて早し最上川……ぬあんちゃって。すでに梅雨に入ったとみる。

 

明治天皇曾祖父、光格天皇は、安永七年(1778年)以来中絶していた新嘗祭を復興……(上田正昭『私の日本古代史』)

 

以来、スピルバーグの『天皇』でも、ただひとり、かしこどころに籠もって、代々「天皇」しか知り得ない秘儀を行う天皇が活写される。キャストは……

「天皇」→ダニエル・デイ・リュイス

「かしこどころのモニターに映し出された能面をかぶり着物を着たオアマテラス」→ジョン・マルコビッチ

「かしこどころの外で待つ侍従長」→ケヴィン・スペイシー

「寝所で待つ皇后」→(ひさびさ)イザベル・アジャーニ

 

てなことを、おれは、エーゲ海を漂いながらうつらうつら夢見ている。おれは依然1192年の29歳にいて、そこから出られず、しかも同時に、トルコの砂浜に寝転んでいるホメロスの夢のなかにもいるんだ、ボルヘス、どうしてくれる?

 

あわいとあわいのあいだ、うちゅうというものはあるのか? じゅうりょくのいじょうがうちゅうをつくったというのか? ゆめとゆめのあわいにはなにがある? そは、じゅうりょくか? じゅうりょくとはなにか? なにかとはなにか? やがてうちゅうもしゅうえんする。はたして、しゅうえんとはなにか? とおい、とおい、とおい……ところ。かみはおはす。そのかみは、ほとけのかおをして、おわす。

 

 

おほぞらの法(のり)の雲ぢにすむ月のかぎりもしらぬ光をぞ見る


 

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【詩】「死刑の歴史」 [詩]

「死刑の歴史」

 

「狂気の歴史」「監獄の歴史」「臨床医学の歴史」ノノ近代理性が「ないもの」としたものの「歴史」を、ミシェル・フーコーは書いてきたが、ここへ来てはたと、死刑の歴史はどうなんだろう? とおれは思った。「死罪」というなら、奈良時代にもあったろう。大和時代にも。しかしそれは罪だけあって、「刑法」ではない。それに、問いは、世界レベルだ、というか、少なくとも近代ヨーロッパが基準だ。ローマ法? イスラム法典? 古代ギリシア? 人が人を、「法のもとに」殺す。ちなみに、西暦2000年代の日本では、「処刑室」(とは呼ばないだろが(笑))は、板張りできれいに掃き清められ、天井から被処刑者を吊す装置があり、被処刑者の足もとの床がパカッと開いて宙づりなるしかけになっている。法務官がその装置作動のスイッチを押すが、自分が押したノノとのトラウマが残らないように、スイッチは三つあり、それぞれ三人の刑務官によって押されるが、そのスイッチのうち、「実際の床を開かせる」のに繫がっているのは、どれか、わからないようになっている。

……そんな仕掛け、だれが考え出したのやら? おれは秘かに嗤う。死刑執行の罪の意識を逃れさせるために? ここにはからずも、「罪」なる言葉が出てくる。ちがう。その意識は三倍になるだけだ。三人ともが「罪」の意識を持ち続ける──。

西暦2018年、オーム真理教の信者十数人に対する死刑執行の決定をした女性大臣は、「一生SPに守られる生活を送るだろう」と、ネットの記事にあった。検察だったか、ジャーナリストだったかの感想だったようだが、かなりコワイ脅しの言葉だ──。

さて、フーコーよ、きみはネット時代を知らない。きみの魂は、どこかへ消えてしまって、おいらのように2018年をさまよえない。近代の理性が覆い隠したものは、確かにきみの言う通りだろうが、ここに想定外の事態が起こった。ネットだ。バカも間抜けも、凡庸なオッサンも、好奇心の強い主婦も、未成年のガキも、犯罪者も、高徳な人も、みんな混じり合って、がなりあっている世界だ。さあ、そこからどんな分析が可能か?

 

建久3年、西暦1192年、おれ、29歳。亥の刻、午後10時頃、後白河院死去。送葬の儀式いろいろ。貴族の時代はそろそろ終わり告げ、仁義ある暴力団=武士が台頭する。以後、4年間、おれは日記を書かない。

 

おーねがい、だまっていてえー。サイレンたちが歌う。照りつける日射し、葡萄酒色の海。ほかの誰かにささやいてあげたなら、きっと涙流して怖がるでしょうけど、でもわたしはだめ〜、全然怖くないーーー。だって最も怖いものは、あなたの船のしたー……

 

はて、なにがあるんでしょうね?

 

オデュッセウスは、まだ、「ヘレネを守ろう会」に入ってトロヤ侵略の策を練っている。オッサン、オッサン、なんでどこの誰かわからん女を守ろうとするの? それもひとの恋人を。

 

わからない。なにが彼をそうさせたか。作者(?)のホメロスでさえ。だって、彼さえ、彼の時代からざっと800年くらい前の伝説を語っているのだから。

 

情報の古層。時間の古層。感情の、魂の、

それでも、フーコーよ、きみは分析するのか?

 

賢木さす小塩(をしお)の野べのひめこ松かはす千年のすゑぞひさしき


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『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』──ヘンリー・カーヴィルさまへ+★(★★★★) [映画レビュー]

『ミッション:インポッシブル/フォールアウト 』(クリストファー・マッカリー監督、2018年、原題『MISSION: IMPOSSIBLE - FALLOUT』)

 

 本作のおおもとになっている『スパイ大作戦』は小学校から観ている(って、テレビですよ!)私だが(ちなみに、トム・クルーズも大ファンだったとか)、主人公の「フリースパイ」(私の造語です(笑))のもとに届けられる「指令」のテープは、「きみに何かあっても、当方は責任を取らない。このテープは自動的に消滅する」……というシーンは、ずーっと踏襲されているところがすごい!(爆)。規模はどんどん大きくなり、「敵」はだんだんワケわかんなくなり、物語はどんどん複雑になり……「フリースパイ」のはずが、IMF(社会科で習ったやつとはちがうみたい(笑))なんて組織になっている。CIAの「下請け」(笑のような。そして「長官」は、アレック・ボールドウィンから、アフリカン女性のアンジェラ・バセットに替わって、ボールドウィンはどこか企業に天下りしている?──てな情況。そして、トム・クルーズは55歳(撮影当時)になった。

どーするんだ? いつまでやるんだ? タン、タン、タン、タン……テーマ音楽は相変わらず、ひとをその気にさせてくれる。私もいろいろなバージョンを、iPodに入れて、その気になって聴いている。

 さて、今回は……題名、Falloutは、いろいろ「かけている」でしょうが、やはりズバリ、「放射性降下物」でしょう。よくないよ、プルトニウムが盗まれたなんて設定。よく考えれば、まだプルトニウムだけなら、「武器」はできないでしょう。それなりの技術員と施設がいるのでは? ねえ、キム・ジョンウン君?

 トム・クルーズのついたクリア・ファイルをくれればいいってもんじゃないよ(今回、これが付いてました)。

 なにがすごいって、「全世界の数カ所で同時多発テロが起きて、テロ信者の博士の声明文をニュースキャスターが読む」というテレビ放送を、そのテロ信者の博士に見せつける……博士は何かが起きると怯える……じゃーん……四方の壁が倒れて、それは「フェイク」でした〜。騙し、騙され、内部の裏切り(fall out)、へりのなかで戦ってへりから落ちそうになる(fall out)。トムの恋人の、レベッカ・ファーガソンがMI6を抜けたい(fall out)。

 今回、「敵は本能寺にあり、ならぬ、内部にあり」で、長官、アンジェラの命令で、いっしょに行動していた、CIAからの助っ人、ウォーカー、これが、「敵」だったんです(笑)! これを、『U・N・C・L・E』のダテ男、ヘンリー・カーヴィルが演じている。トム・クルーズとは、年齢差20歳、身長差も20センチくらいありそうな……(笑)。そこをどうやって、トムの方をかっこよく撮るかは、なかなか工夫と技術がいったのでは?

 

 はい、今回も決まりました。上映時間2時間40分くらい? 長い! しかし、この長さがなければ嘘っぽくなってしまう。パリの街を縦横無尽に、車で、バイクで、全力疾走で、飛ばすワ飛ばすワ、それを上空から撮影。いや〜映画って、ほんっとに、なんでもできますねー! タン、タン、タン、タン……ルールー、ルールー、★は3つか、でもせっかくお金をかけているのに、悪いから、4つ? ヘンリー・カーヴィルも出ているしね!





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『カメラを止めるな! 』──よろしく、です。(★★★★★)(ネタバレ注意!) [映画レビュー]

『カメラを止めるな!』( 監督上田慎一郎、2018年)


 


 連日満席の大評判映画で、Yahoo!レビューの解説を読んだかぎりでは、どこがおもしろいかわからない。1999年(もう、そんなにもなるのか!)の、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』のような作品なのかな〜と思って観に行くと、天井の高い倉庫のようなところで、すでに「ゾンビ化」した撮影クルーが暴れまわり、スタイルは見るに耐えるが、対して魅力的とも思えない若い女優が、きゃーきゃーわめいている。オバサン風の女が大活躍するも、やがて彼女も斧で頭を叩き割られ……。それが結構な長さがあるので、なーんだ、この程度か、と思っていると、わりあい軽めの音楽とともにタイトル・クレジットが出始める。え? 今からはじまり? これまでのチャチな騒ぎはプロローグ?


 


 「一ヶ月前」の文字が出て……。その映画がなぜ撮られたのかのエピソードとなる。サエない映画監督がいて、「テレビの企画」が持ち込まれる。そのテレビ局が、「あるある」の感じを漂わせる関西風あざといテレビ局で、「ワンカットのゾンビフィルムを作りたい」という。よく覚えていないが、映画作品とはいってなかったような気がする。最近のテレビによくある、タレント見世物、いたぶりドキュメンタリーと見た。その監督が、テレビ局の要望を入れて脚本を書いた。題して『One cut of the dead』だったかな〜。その脚本をもとに、というか、ダシに、メーキングが作られる。ここがポイントである。本作は、メーキングのメタ・メタ……フィルムなのである。そこんとこを実にうまく作ってある。脚本も監督も編集もよいのである。もともと映画教室(学校ではなく(笑))の無名のスタッフが使われているが、映画作りがよくわかるようにもなっている。そしてそんな映画なのに、キャラがたっている!のである。とくに、テレビ局のプロデューサーのオバチャン、監督の映画キチガイの娘、元女優の監督の妻……、ほかに、普通の映画制作なら、いないも同然のような裏方が、「表舞台」に出て行く過程もすばらしい。イージーなテレビ界、権威主義的な映画界を、逆手にとって嗤いまくる転回が「してやったり!」である。


 くわえて、低予算当然の環境をもモノともしない、カジュアル感も今ふうで、ものたりなさを感じさせない。





 


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【詩】「E=mc^2」 [詩]

「E=mc^2」


 


さえのぼる月のひかりにことそひて秋のいろなるほしあひのそら


 


「かばしゃんだからねー」


 


アインシュタインにとって、光と影は同等のものだった。


日記と生が同等なように。


その頃の貴族の男はみんな日記を書いたものだ、漢文でな。漢文こそ、イッツ・メンズ・ワールド。ふん、


バカいってんじゃないよ、なにさ、漢文くらい書けるわよ、


と、式部はいった。しかしその頃の女子はそんなものを使うと嫁のもらい手……といっても、通い婚であるが、まー、ありていにいって、オトコがつかなくなる、というので、ひたすら能力を隠したものだった──


 



 


一院といえば、法皇


一人といえば、天皇


一の人といえば、摂政・関白


一の上といえば、左大臣


一の家といえば、摂政関白になる家筋


一の宮といえば、一の御子・皇長子


 



 


二王といえば、金剛像と力士像


二官といえば、神祇官と太政官


二気といえば、陰と陽


二教といえば、顕教と密教


二尊といえば、釈迦と阿弥陀、あるいは、イザナギノミコトとイザナミノミコト


 


……てなわけよ。


 


あかねさす、あかぼしの、あからひく、あきつしま、あさがすみ、あさじもの、あさつゆの、あしひきの、あずさゆみ……


 


ほどかれていく螺旋のかたちに


官能がひらかれていくとき、


ひそかに濡れかつ乾き、


記憶の底に沈められるものがある……


 


式部よ、式部、おれが生まれる150年近くも前に、


死んでしまった女よ


きみに書く手紙は、漢文でもひらがなでもなく、


 


E=mc^2


 



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【詩】「ねじの回転」 [詩]

 

「ねじの回転」

 

「盆の祭り(仮りに祭りと言うて置く)は、世間では、死んだ聖霊を迎えて祭るものであると言うているが、古代において、死霊・生魂に区別がない日本では、盆の祭りは、いわば魂を切り替える時期であった。すなわち、生魂・死霊の区別なく取扱うて、魂の入れ替えをしたのであった。生きた魂を取扱う生きみたまの祭りと、死霊を扱う死にみたまの祭りとの二つが、盆の祭りなのだ。」(折口信夫「盆踊りの話」『古代研究Ⅱ』(角川文庫所収)

 

  ゆくりなく訪ひしわれゆゑ、山の家の雛の親鳥は、くびられにけむ

 鶏の子のひろき屋庭に出てゐるが、夕焼けどきを過ぎて さびしも

                    釈迢空(折口信夫)

 

藤原京はさびしさに覆われ、建設が進められた。これからできるのは、中国の都を模した都。その中心には、「天皇」の御殿がある。周囲には、「国」のため「生産」に励む人々の住む場所が配される。

 

 ここに、街を作ろう、街、ふるさと。(「ひょこりひょうたん島」主題歌より)

 そうだ、わたしも歌を添えよう。うた、私のうた。

 

 やまざくらいかなる花を契りにてかばかり人の思(おもひ)そめけむ

 

 建久元年、西行師が71歳で逝かれた。わたしはまだ、27歳だった。この二年、日記を書いていない。

 

さらさらと、さくらのはなびらは、死者も生者も分け隔てせず、舞い踊る。たららー、たららー。

 

わたしの魂は、あっちこっち、過去や未来をいったりきたり。奈良県橿原市の土を穿つ──

 

こころは肥大して、個人のべつをなくし、地球を覆う。

 

地球は小さなお星さま。

 

モンスリ公園の中だった──レミ・ド・グールモン……だったかな。

 

ここに、街。ふるさと〜。


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【詩】「滅亡という名の果実」 [詩]

「滅亡という名の果実」

 

まぼろしよゆめともいはじ世中はかくてきゝ見るはかなさぞこれ

 

文治4年、1188年。おれは25歳になっていた。7年間日記を書かなかった。そのあいだ、平家が勝手に滅んでいた(爆)。

 

7年間何をしていたかって? べつに、日記を書いてなかっただけじゃん。日記が生活のすべてじゃないだろ。……そう、おれは、歌にのめり込んでいた。女にのめり込むみたいに。いまなんじ? そーね、だーいたいね……なんちゃって。

 

まず、天武天皇のことを考えたね。おれの時代からざっと500年くらい前のヒトだが。一説によると、天智天皇とは実の兄弟ではなくて、『日本書紀』に出てくる「大皇帝」こそ大海人皇子(天武天皇)であり、渡来人の可能性が高いという。新羅の王子、金多遂(きんたすい)ではないかと言われているそうな。さもありなん。天智は娘4人を嫁がせているしさ──。

 

てな、どーでもいいことを考えていた。とか、藤原京は、「新益京(あらましのみやこ)」と呼ばれていたそうな。のちに、当時実権を握っていた、藤原不比等にちなんで藤原京と言われるようになった……ということなど。

 

古代にもすでに古代があって、滅亡のなかにも滅亡がある。あらゆる肉体は滅び、魂はどこへいくのか? 新しい肉体を求めて?

 

「文治四年、四月廿四日、庚寅、入夜權尚書奉書云、撰者之詠乏少、猶三四十首可副進之云云、可撰進之由有御返事、」

 

おごれるものは、せいしゅんなり。

 

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